覚え書:「耕論 蝶と風と、壁と アーサー・ビナードさん、藤永康政さん、高橋芳朗さん」、『朝日新聞』2016年12月23日(金)付。
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耕論 蝶と風と、壁と アーサー・ビナードさん、藤永康政さん、高橋芳朗さん
2016年12月23日
モハメド・アリが去り、ボブ・ディランがノーベル賞を受け、ドナルド・トランプは米大統領に。2016年は暮れゆく。ディランの歌が聞こえる。「How does it feel」――どんな気がする?
■迎合せず突き刺さる言葉 アーサー・ビナードさん(詩人)
「詩人」が目指す表現は、50年後、100年後の人々が読んで、「なるほどそこに本質があったのか」と納得するものです。さらにその言葉が万人に届くのが理想です。現代の万人にも未来の万人も。
けわしい目標です。古くならない言葉を生むには、はやりすたりを超える価値観が必要。自分に確たる基準を持つしかない。裏切り者といわれても、嫌われ者にされてもかまわない。そこが、万人に受け入れられたいという思いとは、一見矛盾します。
ディランは、アメリカ音楽の先人たちと向き合ってきました。フォークを足場にして喜ばれる歌を察して供給しながらも、「裏切り者といわれてもかまわない。みんなが聴いてくれなくてもいいんだ」という歌い方に徹している。そこも重要な基本姿勢。
ノーベル文学賞への態度にもそれが出ていました。多分、うれしいとは思う。と同時に、警戒もしているに違いない。賞を受けるということは、その価値観に取り込まれるということだから。距離を取ったのは当然に思えます。
世に迎合せず、同時に万人に向けて大事なことを発する。そんな綱渡りが、ディランの詩人らしさ。
アリは、ディランと同じ時代を生きて、スポーツの世界で活躍しながら、詩人よりももっと鋭く、本質をつかむ言葉を発した。蝶(ちょう)のように舞う肉体の詩人が、世界王者に上り詰めてから、世間のマヤカシに突き刺さる発言をした。「ベトコンとは争いはない」。当時、ベトナム戦争PRキャンペーン実施中の米政府を敵に回す言葉で、嫌われ者にされること請け合いです。
でも、ベトナム戦争の本質を突いていました。アリの鋭い、きわどい言葉に、多くの人が刺激され、戦争のからくりに気づかされました。
トランプという人物も、刺激的な言葉を生む技術を持っています。なぜ「メキシコ国境に壁を!」という檄(げき)が、話題を呼んだのか。人種差別が受けたからじゃないですよ。
ゆるい国境警備で得をするのは、安い労働力をむさぼる大企業。ふつうの市民は低賃金のまま、不法移民も都合が悪くなれば排除される。その構造がバレているので、人々はトランプの言葉に刺激された。僕の故郷、ミシガンなど中西部にいるとよくわかる。
これまでなら黙殺されていたはずです。大手メディアの論理で維持されてきた言論空間の中では、そのスポンサーに都合のいい言葉しか通用してこなかったからです。
「詩人」は、そんな言論空間と距離を測りつつ言葉を紡ぐ。トランプはそのまっただ中で、いかに注目を集めるかを考える。いずれにしても主流からは決して出てこない表現で、時代を刺激している。そこに共通点が潜んでいます。
(聞き手・村上研志)
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Arthur Binard 67年生まれ。詩集「釣り上げては」で中原中也賞。BSスカパー!「ニュースザップ」などで時事批評も。
■米国の変化、象徴的な年に 藤永康政さん(日本女子大学准教授)
モハメド・アリと言えば、1996年のアトランタ五輪開会式、かもしれません。
90年代の米国では、ロサンゼルス暴動など人種間の緊張が再燃しました。そんな中、公民権運動の指導者、キング牧師ゆかりのアトランタにアリが聖火の点灯役として立ったのは、人種和解の象徴と期待されたからです。
アリをアリたらしめていたもの、蝶(ちょう)のように舞うフットワークも、蜂のように刺すパンチも、対戦相手を攻撃する弁舌も失われていた。それでも大きな喝采を受けました。一方で一部の人たちを失望もさせました。ベトナム戦争への兵役を拒否した反戦の英雄が、体制側に利用される存在になったか、と。
私は、アリは和解の象徴としてでも反体制の英雄としてでもない、元五輪金メダリスト、元ヘビー級王者として世界のトップアスリートたちの前に現れたのだと思います。
67年、アリが兵役を拒否した有名な言葉は、彼の本意を表しているようです。
「I ain’t got no quarrel with them VietCong(ベトコンとは争いはない)」
“I”で始まっています。思想や運動とは無縁の、自分を語る言葉です。「俺がやりたいのは戦争じゃない。ボクシングだ」と。
実際、「運動」へのアリの関与は薄かった。親交を結んだ公民権運動の活動家マルコムXとは、後に距離を置きます。独裁国家でタイトル戦を戦いました。レーガン大統領ら保守政治家との親交も知られています。アリは政治的な注目を浴びることではなく、ボクシング王者として認められたかったのだと思います。
しかし、アリの言葉には反差別、反戦が読み込まれ、今も反体制の英雄として語られることが多い。
なぜか。黒人だからです。米国社会において黒人は常に体制に抵抗するか従順になるか、と問われてきました。アリには「どちらでもない」生き方が許されなかったのです。
ディランがノーベル賞の授賞式に出ていたら、アトランタのアリのように一部から失望の言葉も出たでしょう。彼は受賞を喜びながらも出なかった。白人のディランは「答えは風の中」と謎めかして、「どちらでもない」生き方を貫けるのです。
私は公民権運動の指導者たちから聞き取り調査を続けています。8年前に、米国初の黒人大統領の誕生を喜んだ彼らの多くが物故し、運動は歴史になりつつある。多文化主義を誇った米国は2016年に選ばれた大統領のもと、女性や外国人差別との共存を迫られることになるかもしれません。そんな年にアリが去ったことは、本人が望むかどうかは別にして後年、象徴的に語られることになると思います。
(聞き手・秋山惣一郎)
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ふじながやすまさ 66年生まれ。専門は公民権運動などアフリカ系米国人研究。訳書に「モハメド・アリとその時代」。
■「平等」求める魂、どこへ 高橋芳朗さん(音楽ジャーナリスト)
黒人音楽から2016年を振り返ると、時代が変わる予兆はありました。米大統領選が始まった2月のことです。
スーパーボウルのハーフタイムに、国民の歌姫であるビヨンセが黒人という立場から黒人弾圧への異議を申し立てた。続いて、黒人ラッパーのケンドリック・ラマーがグラミー賞を5部門で受賞する。彼が歌う「Alright」は、相次ぐ白人警官による黒人射殺事件への抗議デモで連呼され、「新しい公民権運動のサウンドトラック」とも評されました。
裏を返せば、あからさまな黒人差別が表出し、分断は始まっていたのです。その延長線上で、トランプが大統領に選ばれた。それだけに、同じ年にボブ・ディランがノーベル賞を受けたことが無関係とは、私には思えません。
代表曲の「風に吹かれて」は、奴隷売買を歌った19世紀の黒人霊歌の旋律を下敷きに、黒人が権利を求めて立ち上がった公民権運動の議論から生まれました。白人のディランが黒人の心を揺さぶる歌をかいた。その衝撃から黒人歌手のサム・クックは64年、「A Change Is Gonna Come」を発表します。「変化はいつかやってくる」とのフレーズは公民権運動の象徴となり、08年大統領選でのオバマのキャンペーン「Change」につながったのです。
ディランが「新たな詩的表現」を作り出した功績は以前から認められたものでした。ではなぜ、ノーベル賞授賞が16年だったのか。アメリカが闘いの中で築いてきた普遍的な価値観が崩れかけている。しかもディランは、黒人にとって魂の曲とされる歌の源流にいた。それが答えだ、と私は受け止めました。
黒人音楽にとって、モハメド・アリも重要な存在です。「I’m the greatest」など、リズムを刻んだ挑発的な物言いから「ラッパーの元祖」と称されます。その表現スタイルと抵抗の精神はヒップホップに受け継がれた。目の前の不条理を即興で訴えかける音楽は「黒人のCNN」とも呼ばれ、90年代以降、米音楽界でメインストリームになりました。ブラックパワーは社会に広がり、政治の世界でも黒人のトップが生まれたのです。
ところが、マイノリティーの権利拡大で割を食ったと感じた白人貧困層は反発し、黒人への弾圧も強まった。黒人の大統領を生んだ反動が、差別的な発言を繰り返す実業家を大統領に押し上げる一因になったとも言えます。
ディランやアリに連なって「平等」を求めてきた黒人の歩みはいま、曲がり角を迎えています。「風に吹かれて」から半世紀、時代の分水嶺(ぶんすいれい)にならないようにと願います。
(聞き手・諸永裕司)
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たかはしよしあき 69年生まれ。雑誌編集者を経て、フリー。ラジオパーソナリティー。共著に「R&B馬鹿リリック大行進」。
◆文中の敬称は略しました。
−−「耕論 蝶と風と、壁と アーサー・ビナードさん、藤永康政さん、高橋芳朗さん」、『朝日新聞』2016年12月23日(金)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12719242.html