覚え書:「書評:僕が殺した人と僕を殺した人 東山彰良 著」、『東京新聞』2017年06月11日(日)付。

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僕が殺した人と僕を殺した人 東山彰良 著

2017年6月11日

◆若き日に背負う罪と想い
[評者]池上冬樹=文芸評論家
 一昨年の夏、東山彰良は『流(りゅう)』で直木賞を受賞した。受賞後一年間は雑務で忙殺され、昨年から本格的に書いたのが本書である。著者によると『流』はポジで、本書はネガだという。一九八四年の台湾を舞台にした青春小説であるが、おおらかな青春讃歌と比べると、本書は殺人をめぐる犯罪小説の側面が強いからである。
 二〇一五年冬、米国で連続殺人鬼「サックマン」が逮捕され、弁護士の「わたし」は刑務所に会いにいく。台湾から米国に移住したわたしは、三十年前に台湾で殺人鬼と出会っていた。
 一九八四年夏、台湾の中学生の「ぼく」は牛肉麺屋の息子のアガンと弟のダーダー、正義感の強いジェイたちと友情を育み、ある犯罪計画をたてる。
 現代と過去のパートを並行させて、殺人鬼が誰であるかを中盤以降で明らかにするが、フーダニットの興味で読むと肩すかしを食うだろう(読者を驚かせる意識が薄い)。動機は何かというホワイダニットの興趣もない(客観的事実で読者を説得する気持ちがない)。あるのは事実ではなく本質をめぐる言説で、“人間はいつだってそのだれかの想(おも)いによってつくられる”(ジャック・ラカン)を引用して、人物たちが背負う罪と想いを具体的に明らかにしていく(これが読ませる)。
 文章は詩的で、時に象徴的。重くはなく、むしろ軽やかにリズムを刻み、直情的で愚かな行為にみちた青春の日々を生き生きと捉え、自分にもこれに似た想いがあったと、読者は振り返ることになる。触れれば痛みを感じるような記憶の棘(とげ)、つまり罪や後悔の念があらためて喚起され、それが誰かに影響を与えたかもしれないと思い至る。
 『路傍』『ファミリー・レストラン』『流』をあげるまでもなく、東山彰良は単純なミステリも青春小説も書かない。本書はミステリ的構成を逆手にとって、謎は解かれるよりも解かれないほうがはるかに輝くことを、青春小説の文脈で十二分に示している。
文芸春秋・1728円)
<ひがしやま・あきら> 1968年生まれ。作家。著書『ありきたりの痛み』など。
◆もう1冊 
 リービ英雄著『模範郷』(集英社)。外交官の父の任地だった台湾で少年時代を過ごした「ぼく」が五十二年ぶりに再訪する物語。
    −−「書評:僕が殺した人と僕を殺した人 東山彰良 著」、『東京新聞』2017年06月11日(日)付。

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