覚え書:「特集ワイド 最近話題の「教育勅語」肯定論は… 歴史修正主義と表裏一体」、『毎日新聞』2017年3月28日(火)付夕刊。

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特集ワイド

最近話題の「教育勅語」肯定論は… 歴史修正主義と表裏一体

毎日新聞2017年3月28日 東京夕刊

教育勅語が出されてから50年後、1940年に明治神宮外苑で開かれた記念式典。平成の現在も一部の国会議員は、全文の額を掲げたり、「奉読会」に参加したりするが……

 国民の代表たる国会が戦後に否定した127年前の文書について、閣僚が「取り戻そう」と叫ぶ平成ニッポンである。文書とは、森友学園問題で注目された「教育勅語」。稲田朋美防衛相をはじめ、安倍晋三政権の周辺には肯定論を唱える人が多い。彼らの主張は正しいのか?【吉井理記】

<まんがで解説>教育勅語とは
皇国史観」と「国家への服従」思想 明治期、「古くて偏向」と改定の動き 戦時期には「玉砕」を助長
 まず教育勅語を読んでみよう。戦前・戦中は小学校令などでは勅語の写し(謄本)に最敬礼するのが義務だったが、今は平成の世である。落ち着いて読んでほしい。

 教育勅語は、1890年に明治天皇が国民に与えた。戦前教育のベースとされたが、敗戦後の1948年に「主権在君や神話的国体観に基づき、基本的人権を損なう」などとして、戦後の選挙で国民が選んだ衆参両院の議員が議論し、排除・失効を決議した。

 その教育勅語森友学園の人々だけでなく、稲田氏も「教育勅語の核は取り戻すべきだ」(3月8日、参院予算委員会)と評価した。安倍首相自身、排除された経緯に触れながらも「『夫婦は温かい家庭を築き……』など大変素晴らしい理念が書いてある」(2006年6月2日、衆院教育基本法特別委)と褒めているし、閣僚の多くが関わる保守団体「日本会議」の小堀桂一郎副会長は「教育勅語を復活すべきだ」(月刊誌「正論」03年11月号)と訴えるのだ。

 だが、以下の事実を知っても、彼らの認識は「素晴らしい」と思えるだろうか?

 「教育勅語は、明治期ですら政府内で内容が問題視され、改定が議論された。それを今に至って政治家が称賛するとは……」と絶句するのは、日本教育史が専門の日本大教授、小野雅章さんである。

 実際、教育勅語が出た4年後に文相になった西園寺公望は、勅語の価値観を「文明の進歩に少なからず障害を与える。皆さんは注意し、古く偏った考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を進め……」(1895年4月、東京高等師範学校での訓示)と批判し、「女子教育を充実させ……外国人に親切に」などと書き込んだ「第2次教育勅語」の草案を書いた。

 驚くことに、明治天皇自身が西園寺の指摘を受け入れ、草案の起草を命じたという。しかし西園寺の病気で実現しなかった(文相参事官を務めた竹越与三郎著「西園寺公」1947年)。

 小野さんが解説する。「西園寺の懸念は勅語にある『皇祖皇宗、国を肇(はじ)むること……』ににじむ皇国史観が『日本は特別な国だ』という内向き思考を招き、国際協調に悪影響を与える、ということです。教育勅語は数年で改定が議論される程度のものでしたが、天皇の権威が確立し、天皇の言葉の改定・撤回はありえない状況になりました」

 では内容はどうか。安倍首相いわく「大変素晴らしい」ものらしいが……。

 調べると、教育勅語が出た翌年、1891年に出版された解説書「勅語衍義(えんぎ)」に行き着いた。勅語の読み方を詳述したものだ。

 ただの解説書ではない。宮内省帝室編修官を務めた渡辺幾治郎の「教育勅語渙発(かんぱつ)の由来」(1935年)などによると、明治天皇の命で時の文相・芳川顕正が哲学者・井上哲次郎に書かせた。私著として出版されたが、明治天皇も「天覧」し、教育勅語が国民に何を求めているかを説明した事実上の「公式教科書」として扱われた。

 何を求めているか。例えば「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」(国家に事変があれば、勇気を奮い一身をささげて皇室国家のために尽くすべし=尋常小学修身書)の項だ。

 「(臣民は)ただただ徴兵の発令に従いて己の義務を尽くすを要す……真正の男子にありては、国家のために死するより愉快なることなかるべきなり」。もう、訳する必要もあるまい。

 「爾(なんじ)臣民父母に孝に」の項は「一国は一家を広げたもので、君主が臣民に命じることは一家の父母が子らに言いつけることと同じだ」、「以(もっ)て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし」(かくして天地とともにきわまりなき皇位のご盛運を助け奉るべきなり=同)も「臣民は君主の意を体し、逆らってはならない。服従は臣民の美徳である」など、あらゆる場面で「天皇主権」が強調される。明治政府が勅語を通じて国民に求めたものを、現代ではどう感じるか。

 政治思想史に詳しい放送大教授の原武史さんは「現憲法国民主権基本的人権の尊重と正反対の内容です。『良いことも書いてある』と評価する人は、一体どういう読み方をしているのか」とあきれるのだ。

 なぜなら「父母に孝に……」などの「徳目」が並ぶ一文は「以て天壌無窮の……」で結ばれる。「つまり『良いこと』のように並ぶ徳目は、すべて皇室を支えるために臣民に課す、という位置づけです。戦前の小学校でも、これが教育勅語の核と教えられた。一部を切り出し、全体を評価することはできません」と解説する。

 元文部科学相下村博文氏も14年4月に「内容はまっとうだが、昭和期に誤った使われ方をした」と述べたが、原さんは「確かに小学校で暗唱が課されたが、昭和期に語句が変わったわけではない。最初から問題のある思想を内包していた」と両断した。

 憲法学の専門家の意見を聞いてみたい。早稲田大教授の水島朝穂さんだ。普段は温厚なのに本気で怒っていた。

 「戦前は学校の『奉安殿』に教育勅語の写しと天皇、皇后の写真が保管された。文部省学校防空指針では人命より重視され、空襲時に持ち出そうとして焼け死ぬ校長も相次いだのです。子供も勅語で『皇室国家に命をささげよ』と教えられ、兵士となって戦場では降伏せずに玉砕した。その勅語の称賛は、不見識を越えて不届き至極です」

 現憲法の精神に反する教育勅語をたたえる国会議員は、公務員に課された憲法尊重擁護義務から見ても不適格だ、と怒りが収まらない。

 「歴史修正主義者は、枝葉を否定して全体をも否定しようとします。日本でも戦前・戦中の歴史で同じような議論がありますね。逆に教育勅語では、枝葉を肯定することで全体をも肯定する。勅語肯定論と歴史修正主義は裏表の関係なのかもしれません」

 前出の原さんはこんな危惧を抱く。「来年は『明治維新150年』です。明治天皇の言葉である教育勅語を再評価する可能性もある。結局、私たちが歴史を見る目を養うほかはないんです」

 個人の考えは自由である。だが閣僚や国会議員の歴史観や思想は注視すべきだろう。教育勅語が人々を縛った時代の再来を防ぐためにも。

教育勅語(現代仮名遣い)
朕(ちん)惟(おも)うに我が皇祖皇宗、国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に、徳を樹(た)つること深厚なり。我が臣民克(よ)く忠に克く孝に、億兆心を一にして、世世(よよ)その美を済(な)せるは、これ我が国体の精華(せいか)にして教育の淵源(えんげん)また実にここに存す。爾(なんじ)臣民父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和(あいわ)し、朋友(ほうゆう)相信じ、恭倹(きょうけん)己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習い、以(もっ)て智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務(せいむ)を開き、常に国憲を重んじ国法に遵(したが)い、一旦(いったん)緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。かくのごときは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、また以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。この道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守(じゅんしゅ)すべき所、これを古今に通じて謬(あやま)らず、これを中外に施して悖(もと)らず、朕爾臣民と倶に拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)その徳を一にせんことを庶幾(こいねが)う。
    −−「特集ワイド 最近話題の「教育勅語」肯定論は… 歴史修正主義と表裏一体」、『毎日新聞』2017年3月28日(火)付夕刊。

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