日記:上杉慎吉と山県有朋

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 山県の国家思想と上杉の国家思想は基本的なところで完全に一致(天皇の権力を絶対的なものとみなし、それへの絶対的忠誠を誓う天皇制絶対主義。政党政治を国体に反する絶対悪とみなす立場。社会主義、労働運動などを断固排撃する立場に立ち、それらの運動を助成する一部知識人への極端な反感を持つなど)していたから、両者の結びつきは、必然的といえばいえるのだが、その具体的な結びつきについて、同僚であった中田薫教授(法制史)が、追想録で次のように書き残している。
 「上杉君が何時頃から実際政治の問題に集中さるゝ様になつたのか僕は知らない。記憶は確ではないが大正二年のことであつたかと思う。一日上杉君は僕に対しゆつくり相談したいことがあるから、来る幾日に君の私宅を訪問したいが、出来るならばX氏にも来合はせて貰ひたいとの頼である。其通りに取計つて置くと此席上君は我々両人に向つて、相談と云ふのは別事ではないが自分は今後大学の教壇の上から社会を指導するのみを以て自分の本分とする方がよいか、或は又有力なる政治家と堤携して自己の抱負経論を実際政治の上に実現するの途を執つた方がよいか若し後者を選むとせば今や自分に対して絶好の機会が提供されて居るのである。併し事は一身の重大事で自分だけでは決し兼ねるから、君等の意見をも聞いて見たいと思ふのであるとこう云はるゝのである。(略)
 当時上杉君に提供された絶好の機会と云ふのは果して何事を意味したものであつたか、同君も説明しなかつたし僕等も敢て之を質問しなかつた。併し僕等は誰か有力な先輩の一人が橋渡をして上杉君と時の元勲山県公とを握手せしめんと試みて居るのであろうと、そう想像して居たのである。而して此想像は其あと次第/\に事実として現はれ来り、遂には世間周知の事実となつたのであるが、其為め上杉君は元老を咀ひ官僚に反感を持つ一派の人々からは、権門の走狗だの曲学の腐儒だのと色々な悪罵を浴びせかけらるゝに至つた。
(略)
 君は学を曲げて元老に阿つたのではない。政界の権力者に説いて−−君の本領から云へば寧ろ教へて−−自分の経論を国家天下に実現せしめんと欲したのである。(略)
 其後上杉君は屡々山県公の許に出入した」
 上杉と山県の関係は多くの人の知るところとなり、学生の間でも評判になった。
    −−立花隆天皇と東大 大日本帝国の生と死 上』文藝春秋、2005年、439−440頁。

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