日記:「政治の細かいことはよくわからない。だから信頼できる同志にお任せてして、私たちは応援すればよいんだよ」ということが召喚する絶望を前に


公明党の政策や議員の資質に疑問があるから公明党を支持できないとカミングアウトしたとき、それを納得させようとする定番のフレーズにつぎのようなものがある。

「政治の細かいことはよくわからない。だから信頼できる同志にお任せてして、私たちは応援すればよいんだよ、氏家くん」

表現には、さまざまなバリエーションがあるとは思うが、要は信仰を共有しているという「だけ」で「全権委任しろ」という話だ。信仰者同士が共有する物語としては成立するとしても、公共世界に関わる現象に関しては、このフレーズはまったく役に立たないどころか害悪ですらある。

さて、衆院選挙を前に、このところ、公明党議員が女性問題を理由に次々と転びだしている。

長沢広明副復興副相にしても、樋口尚也衆議院議員にしても、その人間自身に潜在する問題であるこというまでもない。しかし、それ以上に注意しておかなければならないのは、そういうふうに増長させてしまったのは、支持者の側であるということだ。

厳しくチェックすべき議員をアイドルの如くもてはやし、無反省にヨイショし続けた結果がこのザマである。確かに長沢にしても樋口にしても、議員としてエラクなったと錯覚した訳だが、誰が傲慢にさせたのかと誰何すれば、それは「信頼できる同志にお任せしよう」と全権委任した支持者の側にある。

「信頼できる同志にお任せしよう」という心情は理解できなくもない。しかし、それは全権委任ではない筈だし、あってはいけないことだ。公明党は、初代、二代委員長が党を裏切っていることを想起すれば簡単に理解できる話でもある。

アーレントを引照し「凡庸な悪」と言ってしまえばそれまでだが、議員と支持者の共依存が議員を傲慢にさせ支持者を阿呆化させたと言っても過言ではない。

何か問題がこじれた後、例えば、「あいつは元から悪かった」「私たちは騙されていたんだ」というのは「易しい」ことだ。しかしそういう悪を増長させたことに無関心を決め込み、被害者ずらしてしたり顔という無節操さ、考える能力の欠如というものが、20世紀の巨悪、例えばホロコーストや20年戦争下での大量殺戮や同調動圧による異論の嬲り殺しを加速させたのだ。

公明党の思想的出自は、牧口常三郎戸田城聖である。戦時下日本において、そういう凡庸な悪に抗った思想的系譜・後継者たちが、凡庸な悪に抵抗するどころか、同じ轍を踏む21世紀に絶望するのは僕だけではないだろう。


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