覚え書:「少年の日の沖縄、『非武』の心込め ウルトラマンの脚本家・上原正三さん自伝小説」、『朝日新聞』2017年08月15日(火)付。
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少年の日の沖縄、「非武」の心込め ウルトラマンの脚本家・上原正三さん自伝小説
2017年8月15日
ウルトラマン、仮面ライダー、ゴレンジャー……。今に続く特撮シリーズの草創期を支えた脚本家の上原正三さん(80)が、自伝小説を書いた。故郷の沖縄で過酷な戦中戦後を生き抜く子どもたちの物語。希望あふれるファンタジーでありながら、沖縄の過去と現在を色濃く投影する。
「アリアリ、アレーヌーヤガ?(ああ、あれはいったいなに)」
「アヤーサイ。アレー、アリルヤイビール(お母さま、あれはですね、あれなんです)」
「キジムナーkids」(現代書館)は、冒頭から小気味よいリズムのウチナーグチ(沖縄語)が続く。
「分かりにくいと出版社に言われたけど、絶対に譲れなかった。言葉は人にとってアイデンティティーの核だから」と上原さんは言う。
もう一つこだわったのは発行日の「6月23日」。ウチナーンチュ(沖縄人)にとって「終戦」は、8月15日ではない。「ありったけの地獄を集めた」と言われる沖縄戦終結の「慰霊の日」だ。「あの絶望から人々がどうたくましく立ち上がったか、きちんと書いておきたかった」
舞台は戦後まもない沖縄。5人の少年が食料を求め、あの手この手で米兵から「戦果」をあげる冒険譚(たん)だ。「ささやかな復讐」劇でもある。
米兵のジープを落とし穴にはめ、助ける振りして「ギブ・ミー・コカコーラ」。米兵があいびきしている隙にたばこや缶詰を失敬。ついでに秘事をのぞき、見つかって「ヒンギレー(逃げろー)」。
描写はみずみずしく、会話は底抜けに明るい。だが、登場する少年たちは片腕や声を失ったり、家族の自決を経験したりと、みな戦争の傷を負っている。
7歳の上原さんは1944年10月、東シナ海の船上にいた。疎開先の台湾を出発した後、目指す那覇が空襲で壊滅。漂流した2週間、魚雷におびえ、家族6人で体をひもで結び合った。鹿児島で下船後に船は撃沈。警察署長として沖縄に残っていた父は、地上戦で片耳の聴力を失った。住民と墓に潜んでいたが、日本兵に追い出された。
「聖戦」の捨て石にされた沖縄人としての思いは「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン」の脚本にも投影させた。悪役と言い切れない怪獣、戦う理由に悩む主人公、付和雷同する群衆の狂気……。これら独特の物語は、戦争に正義など存在しないとの信念から生まれた。
上原さんは「沖縄のアイデンティティーとは、言葉と『非武の精神』」と言う。
琉球は東アジアのハブとして栄えた平和交易国家だったが、1609年に薩摩藩に侵攻される。明治政府の琉球処分後、学校では地元言葉を使うと「方言札」を首にかけさせる罰で厳しく標準語が強制された。そして戦後も、本土は基地の負担を一方的に沖縄に押しつけ続けている。
「平和を守るのは武力よりも外交と交易の力。失われたそんな価値観を、取り戻したい。きっと取り戻せる」。今回の本に込めた思いだ。
「次」も考えている。それは、ウチナーグチを話す特撮ヒーローだ。相手をただやっつけるのではなく、最後は敵味方入り乱れて沖縄踊りの「カチャーシー」を踊る——。
ウルトラマンを超える平和のヒーローの出現は、間近かもしれない。
(石川智也、吉田拓史)
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うえはら・しょうぞう 1937年、那覇市生まれ。「ウルトラマン」の原案者で沖縄出身の故・金城哲夫さんに誘われ、65年に円谷プロ入社。「ウルトラセブン」などで多くのシナリオを担当した後、「帰ってきたウルトラマン」「秘密戦隊ゴレンジャー」「宇宙刑事ギャバン」などのメインライターを務めた。
−−「少年の日の沖縄、『非武』の心込め ウルトラマンの脚本家・上原正三さん自伝小説」、『朝日新聞』2017年08月15日(火)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S13087259.html