覚え書:「書評:流罪の日本史 渡邊大門 著」、『朝日新聞』2018年01月14日(日)付。


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流罪の日本史 渡邊大門 著

2018年1月14日
 
◆辺境の地の生活を詳しく
[評者]高橋千劔破(ちはや)=作家・評論家
 流罪(るざい)というのは、罪人を辺境の地に追いやり、二度と元の居住地にもどさない、という刑罰であった。死刑に次ぐ重い刑だが、弘仁九(八一八)年に死罪が廃止され、平治元(一一五九)年に復活するまでの約三百四十年間は、流罪がもっとも重い刑だったのである。

 流罪は、そのほとんどが島流しであった。しかし重い刑とはいえ、島流しに遭ったのは強盗・殺人者のたぐいではない。多くが政治犯であり、権力闘争に敗れた者たちであった。流罪に処された天皇上皇も少なくない。まずは天平宝字(ほうじ)八(七六四)年に淡路国へ流され、「淡路廃帝」と称された淳仁天皇。次いで讃岐国へ流され、没後怨霊となって政敵の後白河帝の周辺に祟(たた)り続けた崇徳(すとく)天皇。また、鎌倉時代に至って承久の乱が起こり、後鳥羽・土御門(つちみかど)・順徳の三上皇流罪に処せられた。ちなみに、後鳥羽上皇が流されたのは隠岐であり、土御門上皇は土佐へ配流となり(のち阿波へ移動)、順徳上皇佐渡に流された。いずれも、当時の都からは僻遠(へきえん)の地である。

 文禄・慶長の役をめぐり、流罪に処せられた大名がいた。豊後の大友吉統(よしむね)である。吉統はキリシタン大名として知られた大友宗麟の子息。父の死後、正式に家督を継承したが、朝鮮出兵中の失態を豊臣秀吉に咎(とが)められ、改易という重い処分を受けた。その後、常陸国佐竹義宣のもとに送られ、その監視下に置かれた。

 江戸時代初期には、猪熊教利(いのくまのりとし)らによる宮中密通が発覚したことに始まる猪熊事件によって、多くの公家が流罪になった。また、本多正純の家臣・岡本大八が暗躍した岡本大八事件により、キリシタン大名有馬晴信流罪に処されている。

 まだまだ本書には、多くの流罪人たちが収録されており、どんな罪でどこに流され、流人生活がどのようなものであったかが詳しく記されている。歴史読み物としても興味深く読める。

ちくま新書・929円)

<わたなべ・だいもん> 1967年生まれ。歴史学者。著書『進化する戦国史』など。

◆もう1冊 
 重松一義著『日本流人島史』(不二出版)。伊豆、佐渡、四国・瀬戸内、九州・西国など七章に分け、島流しの歴史や形態を解説。
    −−「書評:流罪の日本史 渡邊大門 著」、『朝日新聞』2018年01月14日(日)付。

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東京新聞:流罪の日本史 渡邊大門 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)





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