日記:軍事について考えることは、じつは、人間存在そのものを理解する手がかりとなる


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 この五十年、人命尊重は人命安全主義にと変わり、この社会にタテマエとして貫徹してきた。死は忌み嫌う通過儀礼として、生者の目からは遠ざけられた。病院で、老人ホームで、生者には見えない場所で、生者に不安を与えない仕組みで死者は消えていった。あるいは人命尊重とは「一分一秒でも長く生きる」という論理だと強調され、医療現場では本来ならすでに死者となっているにもかかわらず、機器によって人工的に長らえさせられているという矛盾も生んでいる。このような時代状況に、「軍事」が生理的嫌悪を伴って口にするのもはばかれる用語となっていったのも当然であった。
 吉田が防衛大一期生にむかって、「君達は感謝もされないし、尊敬もされないだろう」といったのは、この光景を予知していたからであっただろう。

 「生は有限」であることを自覚し、ときに人は自らの意思とは異なって「死を迎える」ことがあると知るのは、生者の義務である。ところがこのあたりまえのことに気づかないふりをし、ときに愚かな人は気づかないことがヒューマニズムなどと錯覚していたのである。
 軍事について考えることは、じつは、人間存在そのものを理解する手がかりとなる。その手がかりさえも拒みつづけてきた戦後社会は、軍事は人命尊重主義とは矛盾するものではなく、それはときにそのイデオロギーを擁護するものだという教訓に目をつぶっていた。「人命尊重」という錦旗によってなしくずしに生の解放が進み、軍事を考えることを放棄したがゆえに、歴史の内実やナショナリズムや文化や伝統について思いをめぐらせる能力を失ってしまった。たとえば、軍事を批判したり肯定したりする能力(近代国家には軍事は不要であると立論することもさまざまな能力を養うはずである)をもたなかったツケは、いじめという教育問題からPKO問題まで、はてはオウム問題までも一過性の出来事としてやりすごすほどこの社会は鈍感になっていることで証明されている。
 吉田は、日本人は本来楽天主義者であり、好学心に富む性格をもっているといい、「日本人は戦争によって多くの財産を失ったけれども、最も大切な能力である人間の能力は失われていなかった」ともいう。経済復興をなしとげたのはまさにそれだというが、これからは「夢をもつこと」が必要だとも喝破した(『日本を決定した百年』)。夢とは何をあらわすのか、吉田は明らかにしていない。だがその夢とは現在のような経済社会であり、それに裏打ちされた道徳規範の国家という意味でもあった。
 だがその吉田も、日本社会がもっとも重要な「人はなぜ生きるか」という個人的命題に思いを馳せて、政治や軍事、経済に取り組むべきとの論は提示しえなかった。軍事に関していえば、吉田に代表される教養人も、そこに達するまでの人間的な幅はもちえていなかったといえるのである。昭和陸軍について明快に分析する視点はもちえなかったと談じることができる。
 昭和陸軍の軍人の功罪を見究め、それを歴史上に位置づけるのは、吉田の説いた見方を参考にしながら、良識派軍人や兵士の心情を正確に理解することではないだろうか。
    −−保坂正康『陸軍良識派の研究』光人社NF文庫、2005年、248ー249頁。

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