日記:なぜいつもおれたちはスケープゴートにされるんだろう



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 部屋で議論が巻き起こった。だれかが声を上げる。「なぜいつもおれたちはスケープゴートにされるんだろう」
 「これまで何度も乗りこえてきたんだから、この悪魔(アミュレク)にも打ちかてるさ」と、彼の隣にいたラビのモイシュが応じた。「結局、だれもが神の律法に従って生きるしかないんだ」
 「でも、神の律法に従って生きるべきだと神自身がほんとうにお考えになったんだろうか」別のだれかが疑問を口にする。
 「そうだ」とモイシュが答え、旧約聖書の一節を唱えた。「わたしはあたなを大いなる国民にし、あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」
 すると、別の仲間が割って入った。「なぜおれたちは祖国を追いだされて、世界じゅうに離散させられたんだ? なぜおれたちは卑しい奴隷にさせられたんだ? なぜおれたちはいつも憎しみの的にされるんだ?」
 も異種が穏やかな威厳を込めて答えた。「信仰を失い、神への信心を失うことは、われわれの信条に反し、ハラハー〔ユダヤ教の慣習法規〕に反する」。モイシュはみずからの言葉に強い信念を持ち、ほかの人の意見に耳を傾けようとしない。彼はこう断言して議論に終止符を打った。「神を信じる希望を持つことが、われわれにとっては唯一の救いなんだ」。わたし自身は、モイシュほど揺るぎない信仰を持ってはいなかった。
 「戦争なんて永遠に続くものじゃない」と父が口にした。「こんな状況が終われば、悪魔に勝利したことをみんなで祝えるさ」。それでも、ナチスに抵抗しようと言いだす者はいない。どんな運命が待っていようとも、誰もがそれを甘んじて受け容れるつもりでいるようだ。
 わたしたちは、「やりくりする」という言葉をちょっとした盗みの意味で使い、なんとか命を保っていた。生きていくには、乏しい配給を補う手段を見つけなければならない。それには危険が伴う。どこまでならやれるのか、試すことになるからだ。週日のあいだ、わたしたちの班はパン屋で買う焼きたてのパンを誰もが楽しみにしていた。日曜日になると、物見高い人たちがフェンスのそばまでやってきた。外の人たちは最初こそほとんどが同情的だったが、あちこちに収容所ができてくると、目新しさも薄れたようだ。
 ベンジャミン・ジェイコブス(上田祥士監訳、向井和美訳)『アウシュヴィッツの歯科医』紀伊國屋書店、2018年、99−100頁。

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