覚え書:「そこが聞きたい ロシア革命から100年 ポピュリズム侮るな 名古屋外国語大学学長・亀山郁夫氏」、『毎日新聞』2017年11月06日(月)付。


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そこが聞きたい
ロシア革命から100年 ポピュリズム侮るな 名古屋外国語大学学長・亀山郁夫

毎日新聞2017年11月6日 東京朝刊


亀山郁夫氏=兵藤公治撮影

 世界初の社会主義政権をもたらしたロシア革命==から今月7日で100年となる。ユートピアの実現を目指した革命はなぜ生まれ、挫折し、そして何をもたらしたのか。日本を代表するロシア文学者の一人で、ソ連・ロシアと長年向き合ってきた名古屋外国語大学亀山郁夫学長(68)に聞いた。【聞き手・田中洋之、写真・兵藤公治】

−−ロシア革命とは何だったのでしょうか。

 ロシアがたどった歴史を見ると、革命はひとつの宿命だったと考えます。1917年、主に第一次世界大戦に起因する窮乏と不安で国民の間に不満が鬱積し、アナーキー(無秩序)な状況が生まれていました。ロシア人には精神的なものへの過度の思い入れや狂気に似た気質があります。私は特に後者を「ベッソフシチナ(悪魔つき)」と呼んでいます。当時、爆発した国民のベッソフシチナを抑え込むための「力」が必要とされ、それが革命に結びついたのです。

 ロシアのように領土が広く、民が分散している国家を支配するには、それだけ強大な権力が必要です。ベッソフシチナは個人から国家レベルまで存在しており、周期的に発生します。ロシアは国家をコントロールするのに「キリスト教か、それとも革命的手段か」という二者択一を絶えず経験してきました。イワン雷帝ピョートル大帝の改革も、ある意味で革命でした。

 私はかつて、ロシア革命は「宮廷クーデター」のようなレーニンによる権力奪取闘争であり、労働者や農民、そして一般民衆の革命への一体感は「作られたもの」というイメージを持っていました。しかし、そうではなくて、社会全体が革命を運命として受け入れざるを得ない大きな流れがあったと考えるようになりました。

−−ロシア革命の意義をどのように評価しますか。

 革命は人類史的な実験で、世界に対するロシアの貢献といえます。人間が英知をもって生きている以上、試さざるを得なかった実験でした。革命はロシアの精神性と歴史的な状況があってこそ可能になったのだと思います。また、革命は20世紀のソ連に優れた芸術と文化を生み出しました。革命の暴力にさらされた芸術家たちが自らの精神力を振り絞ったのです。逆説的ですが、芸術にとって革命は幸運でした。

 一方、革命後のロシアでは内戦や赤色テロ(反革命派への弾圧)、飢饉(ききん)などで1000万人超の犠牲者が出ました。これは第一次大戦の犠牲者を大きく上回ります。これほどの犠牲を出してまで実現すべき革命だったのかという疑問があります。

 若いころにロシア・アバンギャルドの研究を始めた私は革命を美化するところがありました。人類の理想を求める革命そのものは「善」だが、それを遂行する人間の能力の限界から、結果として「悪」の面が出てきたと見ていたのです。今は、暴力性を持ち、犠牲を前提とする革命は「悪」だったと考えています。

 今世紀に入ってドストエフスキーを研究し、被虐的で、強大な権力に組み敷かれてしまうロシアの民衆性の本質を見るにつれて、「革命的なものではロシアは救えないのだ」という気がしています。ロシア人は熱狂が持続しないところがあり、革命に駆り立てることはできても、一時的な覚醒作用にしかならないのではないでしょうか。

−−革命が生み出したソ連は91年末に崩壊しました。なぜでしょうか。

 ソ連がハイテク革命に乗り遅れ、西側との軍拡競争で疲弊したため、とするのが定説ですが、他方、私はゴルバチョフ(元ソ連大統領)が革命の「原罪」を自覚したことが崩壊の原因と見ています。歴代の指導者には「レーニンの革命が多大な犠牲によって成り立った」という認識はなく、むしろそれを隠蔽(いんぺい)してきました。革命が犯した原罪を初めて自覚したことで、革命の国家が終わりを迎えたのです。

 ゴルバチョフはどこかの段階で武力を行使してエリツィン(ロシア初代大統領)を拘束するなどすれば、ソ連崩壊を食い止めることができたはずです。しかし、90年にノーベル平和賞を受賞していたゴルバチョフは暴力を選びませんでした。ゴルバチョフはロシア国内で全く人気がなく、優柔不断だといわれますが、現実をよく知っていたと思います。

−−ロシアで独裁者のスターリンを懐かしむ風潮があるようです。

 私たちはスターリンを「悪の代名詞」として見ますが、ロシア人にとっては「力」のイメージです。それは神や信仰に代わる何かで、単に強力なリーダーシップや、あの時代へのノスタルジーとは違います。ソ連崩壊後、ロシア人は自信喪失に陥りました。グローバリズムに取り残される中、ロシア人が頼れるものは伝統的な精神性しかなく、その力を体現する存在がスターリンなのです。プーチン大統領が国民から高い人気を得ているのも、経済制裁などに苦しむ今のロシアで「自分たちが強い国の中にいるんだ」という安心感を与え、ロシア人であることの誇りを何とか支えてくれるのがプーチン氏だからではないでしょうか。

−−ロシア革命から学ぶべきことは。

 ロシア革命を動かしたのは最終的にはポピュリズム大衆迎合主義)でした。ポピュリズムはただ「長いものに巻かれたい」というのではなく、夢や理想があります。その力やエネルギーは良い方向にも、悪い方向にも動きます。革命後、独裁化するボリシェビキ(レーニンが指導する社会主義急進派)の無軌道さに対して、労働者や農民は「レーニンなき革命を」と言い出しました。レーニンといえどもコントロールできない状態となり、暴力的な政策が取られるようになりました。要するにレーニンはポピュリズムの力を見誤ったわけです。そこから革命の精神は壊れていきました。ポピュリズムは一国を破滅に導く力にもなります。為政者はポピュリズムを侮ってはいけない、ということだと思います。

聞いて一言
 モスクワ中心部の「赤の広場」には、今もレーニンの遺体が廟(びょう)に安置されている。ソ連崩壊後、遺体の埋葬が議論されているが、革命の父は“健在”だ。プーチン政権下で安定を取り戻したロシアで革命のカオスは遠い過去の記憶となった。それでも亀山さんは、強権的なプーチン大統領ボリシェビキになぞらえ、国民がその権力を受け入れる構図は100年前と変わらないとみる。「ロシア革命は今も続いている」との指摘は大いにうなずける。

 ■ことば

ロシア革命
 第一次世界大戦中の1917年、ロシア帝国で2度の革命が起きた。3月(ロシア旧暦の2月)、食糧不足などに抗議する民衆のデモが全国に拡大。皇帝ニコライ2世が退位して約300年続いたロマノフ王朝が終えんし、臨時政府が作られた(2月革命)。市民が絶対王制を倒したブルジョア革命と位置づけられる。臨時政府には自由主義を掲げる立憲民主党(カデット)などが参加した。

 その後、戦争を継続した臨時政府への不満が高まり、労働者や兵士らでつくるソビエトが台頭。レーニン率いるボリシェビキ(のちにソ連共産党)が11月(ロシア旧暦の10月)に武装蜂起し、権力を奪った(10月革命)。労働者階級によるプロレタリア革命とされる。激しい内戦を経て22年にソビエト連邦が成立した。

 ■人物略歴

かめやま・いくお
 1949年栃木県生まれ。前・東京外国語大学学長。2013年から現職。専門はロシア文化・ロシア文学ドストエフスキーの新訳「カラマーゾフの兄弟」で07年の毎日出版文化賞特別賞。新著に「ロシア革命100年の謎」(沼野充義東京大学教授との共著)。
    −−「そこが聞きたい ロシア革命から100年 ポピュリズム侮るな 名古屋外国語大学学長・亀山郁夫氏」、『毎日新聞』2017年11月06日(月)付。

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