覚え書:「ザ・コラム 核戦争になる前に 被爆校舎で首脳会談を 駒野剛」、『朝日新聞』2017年12月14日(木)付。


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ザ・コラム 核戦争になる前に 被爆校舎で首脳会談を 駒野剛
2017年12月14日

 極東は朝鮮戦争以来の危機にある。

 北朝鮮が核実験を繰り返し、11月29日にも核兵器を運搬する大陸間弾道ミサイルICBM)の発射テストを行った。

 米国は原子力空母3隻を朝鮮半島近海に展開、戦略爆撃機B1Bが韓国周辺で訓練するなど、一触即発の緊張状態が続く。

 非難の応酬も常軌を逸している。北朝鮮は「米国の地を焦土化しよう」「日本列島4島を主体(チュチェ)の核爆弾で沈めなければならない」と言いつのる。

 トランプ米大統領は「小さなロケットマン。彼は病んだ子犬だ」「北朝鮮だろうが誰だろうが、我が国を守る」と返す。「国難突破解散」と銘打った総選挙に勝った安倍晋三首相も「圧力を最大限に高めていく」「対話のための対話は意味がない」。

 危機は極東だけに限らない。トランプ氏が在イスラエル米国大使館をエルサレムに移すと宣言したことで、中東でも対立が激化した。これは開戦前夜の様相でないか。

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 ドイツのジャーナリスト、アントン・A・グーハ(故人)が1983年に出版した小説「核の黙示録」を読んだ。冷戦下の欧州で東西両陣営が対峙(たいじ)した当時、ついに核戦争が勃発する。開戦までの日々と、核爆発後に何が起こり、人々がどう動いたか、1人の新聞記者の日記として描いた。

 記者は悔やむ。「私たちは何もできなかった。しかし、私たちはいつも自分たちがもっとよく知っているかのように振舞(ふるま)ってきた。いまや私たちも、蛇ににらまれた蛙(かえる)のように、作動中の世界滅亡装置をじっと見ているしかない」「軍備増強は軍事的に必要だったのか? 政治的に必要だったのか? 破局だったのだ。軍備を増強して私たちの安全は増大したのか? 否! それは我々ヨーロッパ人を深淵(しんえん)の縁に押しやった」

 死に際記す。「ヨーロッパは、決定的に、急速に、そして、とどまることなく荒野に変わっていく。数百万年かけて成立したものが、沈没し、灰塵(かいじん)に帰していく」。核保有国の戦争では絵空事ではない。後悔したくない私は今、書かねばならない。

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 広島、長崎の悲劇から72年。当時を思い知る場所が残されている。小学校舎だ。

 広島の爆心地から西へ350メートルほどの本川小学校は、あの日、平日授業だった。3年生以上は集団疎開していたが、残った児童約400人と校長ほか10人の教職員が亡くなった。現在、被爆した校舎の一部が平和資料館として公開されている。

 爆心地の南東約460メートルの袋町小学校は木造校舎がすべて倒壊、全焼し、唯一、鉄筋コンクリート造りだった西校舎が残った。疎開せずに残った児童の大半が一瞬で命を失った。校舎は被災者の救護所に利用され、壁には消息を知らせる伝言が今も見える。こちらも資料館として訪ねられる。

 長崎の爆心地の西側約500メートルの丘の上に城山小学校が立つ。階段を上るとトーチカのような3階建ての構造物がある。被爆校舎だった平和祈念館だ。教職員や学徒動員の生徒が死亡、自宅や防空壕(ぼうくうごう)などにいた児童約1400人が亡くなったと推定されている。今も敷地付近で遺骨が見つかる。

 三つの校舎は修復、補強工事が施されているが、内側の壁は黒く染まり、コンクリートの間の木材が猛火で炭状になっている。子どもたちが学び、遊び、泣き笑いした校舎に、突然、膨大な爆風と熱線が襲いかかった傷痕だ。核兵器の使用は、非戦闘員、それも弱者を容赦なく殺すことだ。

 北朝鮮も米国も核兵器という狂気を抑止力の名で正当化し、「核の傘」の下にある日本も禁止条約の採択に反対している。

 核廃絶を求める活動により、今年のノーベル平和賞を受けた国際NGO、ICANへの授賞式典で、被爆体験を証言してきたサーロー節子さんは「核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です」と演説した。

 被爆国の記者として私は求める。正気に戻るため、被爆校舎で首脳会談をする、無念に死んでいった子どもたちの声を聞きながら話し合え、と。無論、会談をセットするのは安倍さん、日本の首相の使命だ。

 (編集委員

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    −−「ザ・コラム 核戦争になる前に 被爆校舎で首脳会談を 駒野剛」、『朝日新聞』2017年12月14日(木)付。

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