覚え書:「世界発2017 沖縄、特攻、伝え続ける 沈没の米艦エモンズ、戦友会」、『朝日新聞』2017年12月18日(月)付。


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世界発2017 沖縄、特攻、伝え続ける 沈没の米艦エモンズ、戦友会
2017年12月18日
 
写真・図版
戦友会に参加したエモンズの4人の元乗組員たち=バファロー、宮地ゆう撮影

 太平洋戦争で日本の特攻機の攻撃を受けた後、沖縄の海に沈んだ米海軍の掃海艇エモンズの元乗組員とその遺族による戦友会が、米国でいまも続いている。元乗組員が毎年亡くなるなか、わずかに残された沖縄戦の記憶は次の世代へと引き継がれている。(バファロー=宮地ゆう)

 ■「日本人は敵」、変わった

 ニューヨーク州バファローで9月半ば、今年の戦友会が開かれた。1年ぶりに再会する元乗組員やその家族たちが抱き合った。

 「元気だったか?」「今年も会えてうれしいよ」。「USS Emmons」と書かれた帽子をかぶったアーマンド・ジョリーさん(95)は笑顔で戦友の肩をたたいた。

 今年の戦友会には4人の元乗組員とその家族ら75人が集まった。

 エモンズが特攻機5機の攻撃を受けたのは、1945年4月6日。この日、米艦船を狙って多くの特攻機が攻撃に出ていた。

 トニー・エスポジートさん(94)は「カミカゼ特攻機)はどこから突っ込んでくるかわからず、本当に恐ろしかった」と思い返す。1機目がエモンズの船尾に突っ込んだ直後、別の特攻機が降ってきた。エスポジートさんの10メートルくらい先に迫った機体の中に、一瞬、パイロットのシルエットが見えた。夢中で機関砲を撃った。機体は船をそれて海へと落ちていった。

 「あの日の恐ろしい光景は、決して忘れることはない」。エスポジートさんは涙をぬぐった。

 デニス・ヤッケさん(85)は仲良しだった兄ドナルドさんを失った。「日本人はずっと敵だった。長年、日本製品も買わなかった」。しかし、歴史書を読み、時間がたつにつれ、思いは変わったという。

 「兄を殺したカミカゼパイロットにも、我々と同じように家族がいた。皆が上の命令に従っただけだった。戦争なんてだれも望んでいなかったのだから」

 ■「忘れたい体験」、封印解く

 戦後、米国に帰った元乗組員たちは、家族にも沖縄での体験を口にすることはほとんどなかった。

 エスポジートさんの息子のマイクさん(62)は「父はもう全て忘れたい過去だと言っていた。戦時中は船に乗っていたとしか語らず、どこにいたのかすら知らなかった」と言う。

 ところが、2001年、沖縄本島北部の古宇利島近海で、エモンズが見つかったとの知らせが飛び込んできた。船は水深約50メートルの海底に傾いて沈んでいた。ダイバーが撮影したエモンズの写真を見て、エスポジートさんはせきを切ったように戦争体験を語り始めた。

 「父と戦友会に来ることで、父の世代の体験を知るようになった」とマイクさんは話す。

 エモンズの元乗組員が初めて戦友会を開いたのは53年。中断した時期もあったが、この15年ほどは毎年開かれている。

 米海軍の関係者によると、いまでもこれだけの人数の遺族らが集まる第2次世界大戦の戦友会は米国でも珍しいという。

 戦友会の取材に来た地元紙「バファロー・ニュース」の記者ルー・ミケルさんは「米国で沖縄戦を知っている人たちにいまも会える機会なんて、まずない」と話し、特攻隊の攻撃を受けた日の様子について質問を重ねた。

 ■「この船の物語、つなぐ」 19歳ひ孫・元沖縄駐留兵…

 戦友をつなげていたのは年3回の会報紙だった。書き続けていた事務局長エド・ホフマンさんが昨年亡くなり、四男のトムさん(59)が発行を引き継いだ。この1年で元乗組員7人が亡くなり、現在は15人が存命とみられている。

 孫のジョンさん(27)は、エモンズの全乗組員約660人分の記録を残そうと、階級や乗船・下船日などを打ち込んだデータベースを完成させた。

 戦友会の写真撮影や広報担当はジョリーさんの孫ジェシカ・チパレリさん(39)だ。「毎年会っていた元乗組員が次々と亡くなっていく。この船の物語は私たちがつないでいきたい」

 戦友会は、毎年2人の学生に合計4500ドル(約50万円)の奨学金を出している。遺族の子どもたちは「太平洋戦争でエモンズやその乗組員が果たした役割とは」といったテーマで論文を書いて応募する。今年の受賞者アレクサンドラ・スタックさん(19)は初めてのひ孫世代だった。「学校で習うのは、真珠湾攻撃やノルマンディー上陸といった大きな出来事くらい。エモンズの歴史を調べて、戦時中、曽祖父が何をしていたのか、初めて知った」と話す。

 今年の戦友会には初の参加者がいた。海軍出身で、2度、沖縄に駐留したケビン・キングさん(52)だ。イラクへの派兵などを経験し、多くの友人を失った。イラクから沖縄に戻り、趣味のダイビングでエモンズを見たとき「戦争で沈んだこの船に、つながりを感じた」という。

 キングさんは、沖縄各地の小さな塹壕(ざんごう)まで訪れ、戦史をたどった。15年からは友人らと、ダイビングをしにエモンズに来る米兵に船の歴史を教え始めた。「沖縄に駐留する若い米兵に、もっとこの船の歴史や沖縄戦について知ってもらいたい」と願っている。
    −−「世界発2017 沖縄、特攻、伝え続ける 沈没の米艦エモンズ、戦友会」、『朝日新聞』2017年12月18日(月)付。

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(世界発2017)沖縄、特攻、伝え続ける 沈没の米艦エモンズ、戦友会:朝日新聞デジタル