覚え書:「記者有論 戦争と人間 リアリズム、歴史から学べ 三浦俊章」、『朝日新聞』2017年12月19日(火)付。


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記者有論 戦争と人間 リアリズム、歴史から学べ 三浦俊章
2017年12月19日

 都内の大学で、20世紀の戦争とジャーナリズムについての講義を始めて3年になる。第1次世界大戦から、今世紀初頭のイラク戦争までを扱う。なぜ戦争が起きたのか、メディアはどう伝えたか、がテーマだ。

 毎年、最初にこういう話をする。

 「20世紀後半は、まれな繁栄と安定の時代でしたが、今また不安定な世界になりつつあります。戦争の歴史を学ぶことは、みなさんにとって不可欠の教養なのです」

 年を追うに従い、開講の辞がより現実味を増してきた。学生の関心も高い。授業では、三つのことを伝えようと試みている。

 ひとつは、多くの戦争が、相互の恐怖心や相手の意図の読み違いから偶発的に始まっていること。

 次に、戦争という異常な環境の中で、人間の判断力が麻痺(まひ)し、一般市民の虐殺が繰り返されたこと。

 そして、戦争の最初の犠牲者は「真実」であること。指導者は不都合な事実を隠そうとし、メディアもナショナリズムにあおられ、いったん始まった戦争について批判的に考えることはきわめて難しい。

 学生たちは、「受験勉強の知識だけで、戦争の実態は知らなかった」「人間はこれほど残酷になれるものなのか」と感想を述べる。だが、これは若者に限ったことではない。

 戦争についてのリアルな知識が社会から急速に失われている。たとえば私自身は父から戦場の体験を、母からは空襲の話を聞いた。しかし、戦争経験者が世を去り、軍事力行使が、あたかもゲームの一手のように語られる危うい時代になった。

 トランプ米大統領は、北朝鮮への武力攻撃の可能性をちらつかせた。首脳会談後、安倍晋三首相は「圧力を最大限まで高めていくことで完全一致した」と語った。開戦が現実的選択であるかのように伝えるメディアもある。

 だが、「圧力」だけで外交が伴わなければ、予期せぬことが発生し、事態が制御不能になるかもしれない。過去の戦争は、武力行使が限定的なものにとどまる保証はないことを示している。そのとき、政治家は冷静に判断できるだろうか。民主主義は機能するだろうか。

 多くの歴史家が指摘するように、1962年のキューバ危機から学ぶべきだろう。ソ連のミサイル配備に対抗して、米国は海上封鎖を実施した。米軍幹部は核戦争も視野に入れて、武力侵攻を進言したのだが、ケネディ大統領が交渉による解決を図り、危機はぎりぎりで回避された。実は、あるソ連の潜水艦では、艦長が開戦したと勘違いし、核魚雷を発射する寸前までいっていた。

 平和はもろく、一瞬で崩れる。人間は間違いをおかしやすい。国際政治のリアリズムとは、本来そのような認識に基づくべきものである。

 (みうらとしあき 編集委員
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