覚え書:「「自分の一部を訳しているよう」 村上春樹さん、チャンドラーの長編7作完訳」、『朝日新聞』2017年12月22日(金)付。
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「自分の一部を訳しているよう」 村上春樹さん、チャンドラーの長編7作完訳
2017年12月22日
写真・図版
チャンドラー小説の村上春樹さんによる新訳作品
米国の作家レイモンド・チャンドラー(1888〜1959)の小説を村上春樹さんが新訳した『水底(みなそこ)の女』(早川書房)が刊行された。2007年の『ロング・グッドバイ』以来、チャンドラーの長編7作を10年がかりですべて訳したことになる。翻訳について、そして創作とのかかわりについて、村上さんに聞いた。
7作は、いずれも私立探偵フィリップ・マーロウが主人公。日本では、故清水俊二さんの訳などで知られてきた。
「いい作品には、新しい訳を出し続ける必要がある」と村上さんは言う。「いいものならオリジナル(原典)は古びないけれど、50年も前に書かれたものは、どんな名訳でも翻訳の言葉が古びていく。それはもう宿命なんです」
清水訳と自身の訳ではかなり方向性が違う、と村上さん。「清水さんはいわゆるハードボイルド・ミステリーのノウハウで訳してるから、時には細部を端折って流れをよくしている。僕は文芸翻訳のノウハウでやっているし、チャンドラーは準古典のようなものだと思ってるから、細部までできるだけきちんと訳そうと」
『水底の女』の原典は1943年刊行。香水メーカーの社長に行方不明の妻の安否を探るよう依頼されたマーロウは、湖畔の町に向かう。
「この作品は小説として少し弱い部分がある」と村上さん。「だからそのぶん一生懸命手伝ってあげたい気持ちがあって、とりわけ熱心に手を入れた。うまく流れないところを、なるべく流れるようにするとか」
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原題の「The Lady in the Lake」は、直訳すれば「湖の中の女性」。59年の田中小実昌さん訳、86年の清水俊二さん訳のタイトルは、いずれも『湖中の女』だった。
「『湖中の女』だと、語感としてちょっと古い感じがしたんです。『湖底の女』はちょっと硬い。だから『水底』がいいんじゃないかなって」
「新訳を出す場合、タイトルはとても難しい」と村上さんは言う。チャンドラーの長編で最初に手がけた『ロング・グッドバイ』は、清水訳のタイトル『長いお別れ』が広く知られてきた。
「清水訳に親しんできた人は、割りこまれた、踏みこまれたという感じで反感を持つかもしれない。でも新しい読者もいるわけだし、選択肢が多いことが大事だと僕は思っています」
中・高生の頃からチャンドラーを愛読してきた村上さんの訳文は、ときに村上さん自身の小説の一部を読んでいるような気がするほどに自然で、滑らかだ。
「僕はチャンドラーの文章が大好きだし、影響を受けた作家の一人でもある。だから、ここで作者は何を考えてるんだろうと迷うことはほとんどない。自分自身の一部を訳しているような気持ちになることもあります」
自身が小説を書く上で、「一種のリズムのようなものをチャンドラーから学んだ」という。「軽妙な会話が続いたかと思うと、すごく細密な描写があったりして、そのあうんの呼吸みたいなものがすごくうまい」
今年出した長編『騎士団長殺し』も影響を受けていると明かした。「最初のほうの小田原の家の描写なんかは、チャンドラーの小説のような風景描写だなって書いていて自分で思って。とくに第1章はチャンドラーを割に意識したかもしれない」
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翻訳とは原典を「ばらばらにしてもう一度組み立て直す」作業だと村上さんは言う。
「チャンドラーは、解体して再構築するには絶好のモデルなんです。チャンドラーのようなミステリーを書こうとしても、それはむずかしい。小説は、どう解体するかというところにかかってるんです。そこから何かを学ぶとしたらね」
同じような「解体と再構築」をしている書き手として、村上さんは今年のノーベル文学賞を受けたカズオ・イシグロさんの名を挙げた。
「SFをやったり昔のイギリスの執事ものをやったり、書くたびにある種の小説のスタイルを再構築している。彼もチャンドラーが大好きなんです。何度か会って話してるけど、チャンドラーの話になると生き生きしてくる」
村上さんの小説は現実と非現実の世界を行き来するようなものが多いのに、翻訳ではリアリズムの作品を多く手がけるのは、なぜなのか。「非リアリズムのものを書こうと思っても、きちんとしたリアリズムの文章が書けないと、それはできないんです」
「僕は自分の文体を強くしなくちゃいけないと思って『ノルウェイの森』をリアリズムで書いて、そこからずいぶん楽になった。だから翻訳でもリアリズムのものをやって文体を磨き上げたい、文体を引き締める訓練をしたいという気持ちがある」
村上さんは小説でも翻訳でも、原稿に繰り返し手を入れるという。「たいそうな言い方になるかもしれないけど、生きた文章を書くには潜在意識で洗い直す作業が必要なんです。ある程度の時間をおいて無意識のなかを何度も通さないと、文章が立ち上がってこない、本当に」
「文章の力は、評価するのがすごく難しい」と村上さん。「家庭風呂と温泉のお湯との違いを表現するのが難しいのと同じです。温泉のお湯の持つ力を出すためには、時間をかけて、潜在意識を何度もくぐらせることがすごく大事になってくる。小説でも翻訳でも、それはまったく同じです」(柏崎歓、編集委員・吉村千彰)
−−「「自分の一部を訳しているよう」 村上春樹さん、チャンドラーの長編7作完訳」、『朝日新聞』2017年12月22日(金)付。
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「自分の一部を訳しているよう」 村上春樹さん、チャンドラーの長編7作完訳:朝日新聞デジタル