人間たちを相互に置き換えることは本源的な不敬であって、ほかならない搾取が可能となるのもこの置き換えによってである



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 政治的生にあって、人類がその作品から理解されることは間違いない。交換可能な人間たちの、相互的な関係による人間性というわけである。人間たちを相互に置き換えることは本源的な不敬であって、ほかならない搾取が可能となるのもこの置き換えによってである。歴史−−それは国家の歴史である−−において人間存在は、そのさまざまな作品の総体としてあらわれる。人間は生きながらにして、相続さるべきじぶんの遺産なのである。正義とは表出をあらためて可能にすることにあり、表出にあっては、相互性を欠いたかたちで人格が唯一的なものとして現前する。正義とは言葉を語ることの権利である。宗教のパースペクティヴが開かれるのは、おそらくここにおいてである。宗教は政治的生から遠ざかる。哲学もまた政治的な生へと必然的につうじるものではないのである。
    −−レヴィナス熊野純彦訳)『全体性と無限』岩波文庫、2006年、252−253頁。

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うーん、連日、橋下徹大阪市長さん関係の話題で恐縮ですが、やっぱり大事だから、少しだけ言及しておきます。

要するに「公務員」ならば「職務命令」に違反するな!違反するなら極刑で対処する……というのが氏の所論。

しかし、日本国憲法で規定されている通り、「人間の内心の自由」はどこまでも尊重されなければならない。

市長さん論理の建前としては、「内心の自由は自由で結構だけど、俺のいう命令は職務命令だからいやでもやるというのが賃金労働者の責任だ!」っていう寸法です。

ほー。

たしかに論理としては成立していなくもありません。

いつもの通り、「民間では考えられませんから」っておっしゃる橋下市長の議論です。

しかし、冷静になって考えてみると「社歌を歌え」「社旗に敬礼」……っていう優良企業というのは聞いたことがありませんし、あるとすれば、今、はやりのブラック企業になってしまいますよね。

ブラック企業せよ、橋下さんの手法にせよ、根本的にはコントロール願望がその根柢にあります。

コントロール願望とは何か。

結局のところ「人間たちを相互に置き換える」ことを可能とみる発想です。

現実に、唯一性をもった、名前をもち、還元不可能な存在“性”をもったひとりひとりを代補することは不可能です。

もちろん、業務的には可能でしょうが……それによってまさに現在世界は成立しているわけですが……、それでも業務では払拭できない「何か」はありますし、そこに立ち入ってはいけないというのが「相互承認」を前提とする社会のはず。

だとすれば、そこまで容易に踏み込んでしまうことには警戒的になったほうがいいと思う。

逆説的にいえば、その意味では、橋下市長さんは、「政治的生」を忠実に生きているんだろうなーー(棒読み














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覚え書:「大正100年:歴史に探る日本の針路 改元100年 大正の「社会と文化」を語る/下」、『毎日新聞』2012年3月15日(水)付。

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大正100年:歴史に探る日本の針路 改元100年 大正の「社会と文化」を語る/下

 ◇関東大震災で秩序が動揺−−成田龍一さん
 ◇非科学的な「科学信仰」へ−−長山靖生さん

関東大震災で東京・浅草の名所「十二階(凌雲閣)」は中ほどで折れ、下部のみの無残な姿となった=1923年9月撮影
 昨年の本紙連載シリーズ「大正100年−−歴史に探る日本の針路」を踏まえ、大正期の社会と文化の変容を考える長山靖生さん(評論家)と成田龍一さん(日本女子大教授)の対談の後半。議論は関東大震災の意味、今の日本への教訓などをめぐり、多面的に掘り下げられた。【構成・大井浩一、栗原俊雄】

 −−大正の終わり近くの関東大震災(1923年)は、どんな変化をもたらしたでしょうか。

 長山靖生さん 僕は福島県に近い茨城県日立市に住んでいますので、昨年の東日本大震災を身近に体験しました。それで関東大震災のことも幾らかリアルに想像できたのですが、大地震という一種の滅びを経験した社会では隣近所の助け合いが強まり、自警団が活躍しました。ところが、一方で朝鮮人の虐殺のように仲間以外の他者をヒステリックに排除してしまった。植民地の人々に対する、日本人の隠れた罪悪感の裏返しだったのでしょう。


対談する長山靖生さん(左)と成田龍一さん=東京都千代田区で、津村豊和撮影
 成田龍一さん 災害が起きると、普段は見えない社会の断面が現れます。大正期を通じて進行したのは、地域の有力な商店主や工場経営者、古くからの住人といった「名望家」の下で安定していた従来の地域秩序が壊れていくことでした。その動揺が関東大震災で一挙に表面化し、だから自警団によって地域を守るという動きになります。震災後は名望家の中身が在郷軍人会の長や、今の民生委員に当たる方面委員の長、青年団の長などに変わります。国家から任命された人が中心になるような再編成が進み、昭和の戦争期の町内会(隣組)の核になっていきます。

 また、明治の統治は上からの一方的なやり方でしたが、大正期には「主張する民衆」が出てきて、彼らを包摂しながら支配するようになります。普通選挙法を制定すると同時に治安維持法を作り、従わない人は排除する。包摂と排除という新しい統治の仕方が震災後に一気に進んでいく。これは、参加する民衆が自発的に動員されていく昭和の体制につながります。

 長山 成田さんのおっしゃる「デモクラシーゆえのファシズム」ですね。民衆が平等を求め、政府がそれを実現しようとするほど政府主導になり、全体主義的な体制が作られていく。その胎動が大正期にあると。

 成田 はい。「デモクラシーが抑圧されてファシズムの時代に入った」のではなく、デモクラシーが戦争体制の条件を作り出していったということです。そのベースが大正期の「主張する民衆」でした。それは「帝国のデモクラシー」だったからで、同時に排外主義を内包しています。

 長山 モダニズム文学や探偵小説の作家たちは上海を舞台にしたり、海外に出ていきます。作中の主人公たちはコスモポリタンとしての自覚を口にしますが、実際には日本の侵略行為に加担するようなことをしてしまっている。そういう二重性もあります。

 −−学術面で特徴的な動きは何でしょうか。

 長山 科学の知識をめぐる変化がありました。開国以来、科学は進んだ西欧から学ぶものでしたが、明治末になると日本人も最先端の研究をするようになります。一方で、25年にラジオ放送が始まり電波の時代になったことが象徴的ですが、科学知識が増えると逆に「見えない」部分も出てきます。すると非科学的な「科学信仰」になる。その分節点が大正期ではないでしょうか。マルクス主義にしてもイデオロギーとして信奉されてしまいます。

 成田 22年のアインシュタインの来日が大きく報道され、相対性理論も話題になりますね。大衆社会状況が問題となって心理学や精神分析が注目され、群集心理をとらえる社会学も紹介されます。柳田国男民俗学も、日本社会は本来どういうもので、何が失われたのかという関心から出てきます。

 −−大正の問題は現在にどうつながるでしょうか。

 長山 今の格差社会の問題にしても、対策を打つほど政府が肥大化し、国民個人の裁量の範囲が縮小していく。平準化と自由のバランスの取り方が難しいですね。一歩間違えるとファシズム的な共同体の強制につながりかねない。競争にどう歯止めをかけ、平準化にどう自制を加えるかを考えるうえで、大正から学ぶことは大きいと思います。

 成田 今の日本も世代交代を迎え、旧来のシステムではうまくいかず、ある「出口」を迎えていると思います。大正期の「出口」がつまずきを持ったとすれば、どうすればよいのでしょう。二つの条件を考えます。一つはエネルギーの問題です。水力発電が躍進した大正期は、エネルギーなしに考えられない社会編成を作り上げてしまった。原子力発電など今も抜き差しならない問題です。いまひとつは、人々が物を言い、動いたのが大正期であったこと。民衆の主張と行動によってしか社会は変わらない。その変わり方によって問題は生じましたが、社会を規定するのが民衆だということは大正期の大きな教訓です。

 ※シリーズ「大正100年」をめぐる対談は、「政治と思想」をテーマに7月にも掲載する予定です。
    −−「大正100年:歴史に探る日本の針路 改元100年 大正の「社会と文化」を語る/下」、『毎日新聞』2012年3月15日(水)付。

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http://mainichi.jp/enta/art/news/20120315ddm014040050000c.html





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