覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『人口減少社会という希望』=広井良典・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。


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今週の本棚:松原隆一郎・評 『人口減少社会という希望』=広井良典・著
毎日新聞 2013年05月12日 東京朝刊


 (朝日選書・1470円)

 ◇成長という国家目標を根底から見直す

 意表をついた書名。しかし「人口減少」から人々が反射的に連想する「絶望感」を、本気で希望に転換しようとする本である。

 ながらく日本では、人口増は「善」とされてきた。年金の財源は現役世代がもたらしてくれる以上、その人口が増えることは豊かな老後を保障してくれる。なにより人口が増えるのは、国民が幸せな暮らしを送っているからだろう。それゆえ二〇〇四年を境に人口が減り始めたというのは老後が絶望的となる兆しだし、若い日本人たちの暮らしが不安に満ちていることを示唆しているのだ、と。

 人口増そのものは、直接には日本人の国家目標ではなかった。戦後の日本において目標といえるのは、経済成長と個人の自由だった。しかし成長と自由が確保されれば幸せになれるし、人口も増えるだろう。そう考えて、経済成長を促すべく経済政策が総動員された。経済人の自由を束縛するような規制、慣行や制度を緩和ないし廃止する「構造改革」や、金融緩和で円安株高にし、輸出増で景気を上向かせようとする「リフレ政策」は、ともに経済成長を目標とするものだ。

 けれどもそれで経済が成長に転じたとして、日本人は幸せになれるのだろうか? そもそも「経済が成長すれば国民は幸せになれる」というのは、無条件に正しいのだろうか? 著者はこう問い、否と答える。ここでいう成長とは、「地域からの離陸」のことであり、それが限界に達した。高度成長がすべてを解決したという「成功体験」へのしがみつきこそが、苦境をもたらしている。

 著者の処方箋は、経済成長のためとして捨て去られた事柄を見直すことにある。グローバル市場で儲(もう)けるのでなく、地域内で人やモノ、カネを循環させること。賃金の安い発展途上国と貿易を通じて価格競争するよりも、地域経済で地産地消し高付加価値を生み出すこと。高齢者や子どもも集う地元で、人と人のつながりを取り戻すこと。開墾し耕しビルを建て汚水を流してきた自然を、人がそこに包まれ住まう環境とみなすこと。科学技術を管理する専門家に、一定割合で市民やNPOを参加させること、等。

 これらを聞けば、近代国家が歩んできた時計の針を逆戻りさせるノスタルジーと思われるかもしれない。しかしそれは誤解だ。医学にかんする説明を見てみよう。現代の医学は「特定病因論」、すなわち一つの病気には一つの病因が対応し、それを取り除けば治癒するとみなす方向で進歩してきた。感染症が良い例だ。ところが近年、新型の「鬱」のごとく、原因を特定できない病が増えてきた。そこで登場した「社会疫学」では、ストレスなど心理的要因はもちろん、コミュニティとの関わりや労働のあり方などの社会的要因、貧困や格差など経済的要因の複合として病をとらえている。

 病気にしてからが、地域社会のあり方や働き方の社会慣行に配慮することでしか治療しえないというのだ。病院で死の直前まで病気と闘うより、自宅で家族とともに死の時を待ちたいという人も増えてきた。自然にせよ人間にせよ、部分だけに注目しても制御しきれないのである。「内向き」と揶揄(やゆ)される若い世代は、むしろこの方向の最先端を感受しているのかもしれない。

 著者は独仏以北のヨーロッパ諸国を理想とするが、自然医療の中心地として知られるドイツのバート・ヴォリスホーフェンの例は印象深い。街全体が療養地に特化して、裸足で歩ける泥地や芳香に包まれる庭などが点在している。この自然と一体化した街の経営は、宿泊客の「クア・タックス」(保養税)で成り立っている。商店街がシャッター通り化して高齢者が住みにくい日本の地方都市は、思い切ってこの都市経営に倣ってはどうかと思う。

 著者は社会保障の専門家であるから、税の中心を企業と労働者からの法人税所得税から消費税へ、さらに資産格差の広がりを見据えて相続税環境税へとシフトさせるべきだとの提言も書かれている。だがなんといっても本書の読みどころは、成長という国家目標を根底から見直す大ぶりな視野にある。個人の自由のみならず神仏儒という伝統宗教も振り返り、それに「地球倫理」も付け加えようというあたりが核心だ。

 「地球倫理」とは、「普遍性」を目指して唯一の価値観を提示してきたキリスト教や仏教などの教えが、実は生まれた土地柄を色濃く反映していることを読み取り(砂漠を自然の象徴とみなすキリスト教にとって自然は克服すべき対象となる)、個性ある地域の共存という観点から普遍宗教にも協調を促すものだという。宗教まで一気に話が及ぶのは、そうでもしないと成長の呪縛が解けないということだろう。緻密な議論は今後に期待したい。

 私たちはしょせん、社会や自然に寄り添って生きるしかない。社会をうち捨て自然を加工することを自由や進歩とみなす錯覚を捨て、ゆとりある生き方を目指そう。小著ながら多くのヒントに満ちた一冊。
    −−「今週の本棚:松原隆一郎・評 『人口減少社会という希望』=広井良典・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130512ddm015070005000c.html



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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。




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今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著
毎日新聞 2013年05月12日 東京朝刊


 (新宿書房・2520円)

 ◇悲しみと悔悟を映す“翻訳者の声”を慕って

 学生の頃、脈絡なく読んで引き込まれた数冊のアメリ現代文学の翻訳書を通して、私はその人の声を信用するようになった。『八月の光』『月は沈みぬ』『賢い血』『プアハウス・フェア』『ロング・マーチ』。いまでも大切にしているこれらの作品はすべておなじ人物によって、つまり本書のタイトルになった「S先生」こと須山静夫によって日本語に移されていたのである。

 須山静夫は一九二五年、静岡に生まれ、一九四四年に横浜工業専門学校(現横浜国立大学)造船科に進学、卒業後は農林省水産局漁船課に入省したものの、文学への想(おも)いは断ちがたく、二十五歳にして明治大学文学部の夜間三年に編入学し、一九五二年にはガリオア(占領地救済資金)留学生の試験に合格したため、明大を退学したうえでミシガン大学工学部造船科に留学している。

 英文学者の前史としては、じつに風変わりである。しかし船との関わりは、彼が選んだ文学の道のなかで大きな意味を持っていく。というのも、一九五三年に帰国して復学し、翌年書き上げた卒業論文の主題が、船乗りから転身した作家メルヴィルの『白鯨』をめぐるものだったからだ。学部卒業の後、留学中に知り合った女性と結婚して大学院に進み、農林省を辞して母校の助手となってから、息子が生まれ、教育者としても研究者としても万事順調にゆくかと思われた。だが、まさにそのとき、彼の日常は白鯨の吹き上げる息よりもつよい不幸の連鎖に見舞われる。

 著者がS先生に出会ったのは、一九八〇年代半ば、慶應大学英文科三年の時だった。非常勤として出講していた先生は、俳優の宮口精二似の古武士の雰囲気を漂わせた寡黙そうな人だったが、学生たちの誠実でない態度に触れたとたん、がらりと姿を変えた。徹底的な下調べと深い読解、そしてみごとな訳読。不明箇所をめぐっては、気骨のある学生と真剣な議論を重ねて飽きることがない。その優れた学生だった若き日の著者は先生の学問にかける姿勢と厳しさに魅了され、自身の指導教官と並ぶもうひとりの大切な師として接していくようになる。

 学生たちはふつう、教師がどのような思いでテキストを選択し、どのような人生を賭けてそれを読んでいるのかまで想像しない。著者は長年にわたる交流のなかでその仕事の背景を少しずつ知っていくのだが、真の理解は、二〇一一年に師を失ったあとに書き出された、一種の自分史でもあるこの追慕と哀惜の記録によって、はじめてなされたと言えるだろう。

 じつは、須山静夫は、一九六四年に最愛の妻を癌(がん)で亡くしていたのである。悲しみから立ち直ったつもりで再婚し、一女をもうけ、新しい家族に支えられながらも、彼は最初の妻への想いと悔悟の念を断ち切ることができなかった。なぜ他の人ではなく妻だったのか。『ヨブ記』の問いかけを反芻(はんすう)しつつ先を行こうとしたとき、今度は二十歳を過ぎた息子を事故で失う。なぜ自分が代わりに死ななかったのか。それを自問しつづけ、自らの文学研究と翻訳に投影していった。オコナーやフォークナーの翻訳に、他の訳者にはない声が感じられたのは、当然のことだったのだ。

 須山静夫はまた、小説家でもあった。右の問題を扱った長篇『墨染めに咲け』をめぐる章は、深い共感と絶望の先を見据えようとする明るい光に満ちた、あたたかい批評になっている。オマージュと呼ぶにふさわしいこの一書を通じて、S先生の読者がひとりでも増えることを期待したい。
    −−「今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『福島原発と被曝労働』=石丸小四郎、建部暹、寺西清、村田三郎・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。




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今週の本棚・新刊:『福島原発と被曝労働』=石丸小四郎、建部暹、寺西清、村田三郎・著
毎日新聞 2013年05月12日 東京朝刊

 (明石書店・2415円)

 著者は、福島第1原発事故の20−40年前から、福島原発の被曝(ひばく)労働者の調査や支援にかかわってきた地元と関西の4人。3・11事故による被曝の記述は簡潔だが、要点を見逃さず、張りつめている。「平常時」でも過酷な被曝を強いられてきた労働者たちの姿を知るためだろう。

 福島原発の下請け労働者の被曝線量は1980年代半ばごろまで、全国でも飛び抜けて高かった。このため、地元の双葉地方原発反対同盟の石丸氏に関西の研究者や医師らが加わり、原発労働者200人を調査した。すると、低賃金、被曝線量を低くみせる工作など、最近表面化している実情が浮かび上がっていた。

 10年ほど前からは、福島原発などで被曝し、血液系のがんになった労働者2人の相談が続いた。いずれも労災認定の基準にない病気で、認定は困難を極めた。著者らが支援し、被曝による国内外の発症例を示すなどして認定にこぎ着けた。2人の被曝と認定までの道のり、遺族の声にはストーリー性がある。

 欧米の被曝実態や米露の幅広い補償制度も紹介。福島原発の作業で被曝した約2万6000人の健康管理や補償に役立つだろう。(大)
    −−「今週の本棚・新刊:『福島原発と被曝労働』=石丸小四郎、建部暹、寺西清、村田三郎・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130512ddm015070032000c.html




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