日記:これはお前らの罪だぞ


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 だが、われわれにとってこれよりも遥かに重要なのは、われわれがいかにしてみずからわれわれがいかにしてみずからわれわれ自身を照らし出し、審判し、浄化するかということである。上に述べた外部からの弾劾はもはやわれわれの仕事ではない。これに反して、ドイツ人の胸のうちに十二年このかた、はっきりと聞き分けられるかどうかという点で多少の差はあるにしても、少なくとも折に触れては聞こえてくる聞きのがすことのできない内面からの弾劾は、今もわれわれのもち得べき自覚の根源なのである。それはわれわれが、年寄りであろうと若かろうと、内面からの弾劾に処して、自分の力で自分をどう変えていくかというその考え方を通して、自覚の根源となるのである。われわれはドイツ人として罪の問題を明らかにしなければならない。これはわれわれ自身の問題である。外部から来る非難をどれほど聞かされ、この非難を問題として、かつはまた自分を映す鏡としてどれほど活用するとしても、このような外部からの非難とは無関係に、ドイツ人としての問題を明らかにするのである。
 「これはお前らの罪だぞ」という上述の文句はまた次のような意味をもち得る。
 お前らはお前らが甘受した政権の行った行為に対して責任を負うのだぞ、ということである。この場合にはわれわれの政治上の罪が問われているのである。
 のみならずこの政権を支持し、これに関与したのはお前らの罪だぞ、ということにもなる。この点にわれわれの道徳上の責任がある。
--カール・ヤスパース(橋本文夫訳)『戦争の罪を問う』平凡社ライブラリー、1998年。
    −−カール・ヤスパース(橋本文夫訳)『戦争の罪を問う』平凡社ライブラリー、74−75頁、1998年。

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覚え書:「野蛮なアリスさん [著]ファン・ジョンウン [評者]都甲幸治(早稲田大学教授(アメリカ文学))」、『朝日新聞』2018年04月21日(土)付。


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野蛮なアリスさん [著]ファン・ジョンウン
[評者]都甲幸治(早稲田大学教授(アメリカ文学))
[掲載]2018年04月21日

■消えた町、戦争と暴力の記憶

 女装ホームレスのアリシアが、再開発で消え去った町、コモリを言葉で蘇(よみがえ)らせる。そこに立ち現れるのは、いないことにされてきた人々の世界だ。
 子供時代、朝鮮戦争で北から逃れてきた父親は孤児になり、この町で下男として雇われると、見下されながらもなんとか金を掴(つか)もうとする。成人してようやく家を手に入れ、立ち退きのための莫大(ばくだい)な補償金をせしめても、家族の心は通いはしない。
 勉強する機会も得られないまま親に殴られて育った母親は、アリシアと弟を激しくせっかんすることでしか、自分の感情を表現できない。耐えかねた兄弟が行政に助けを求めても、家族の和が大事だと言われて追い返されるだけだ。
 近代化する社会の中で、戦争の記憶や家庭内の暴力は不都合なものとして隠されてしまう。だがそれは、見えない臭いとして人々につきまとう。殺された共産主義者の埋まっている地下には下水処理場がある。「匂いは透明な霧のように突然コモリに漂いはじめ、人の粘膜にくっつく」
 同様に、アリシアと弟の直面した悲劇の記憶も回帰する。兄を探して家を出た弟は、下水処理場から流れ出した大量の汚泥に埋もれて死ぬ。母親への怒りを体に刻みつけるように女物の服を身にまとったアリシアは彷徨(さまよ)いながら、消滅した町について語り続ける。
 1976年生まれのファン・ジョンウンは、数々の文学賞を受賞した、現代韓国文学を代表する一人だ。時に幻想的になる彼女の作品は、近代化に伴う忘却の暴力に向き合いながら、それに対抗する力を見据えている。
 たとえば生き抜くために、アリシアと弟は空想の生き物「ネ球」の話を共同で作る。こうした遊びの間だけ、二人は柔らかな魂の深みを受け入れ合う。時たま挟み込まれるこんな親密な挿話に、僕は現代においてもいまだ文学が存在することの意義を感じた。
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 Hwang Jung−eun 76年、ソウル生まれ。著書『百の影法師』『パ氏の入門』『誰が』などで数々の文学賞
    −−「野蛮なアリスさん [著]ファン・ジョンウン [評者]都甲幸治(早稲田大学教授(アメリカ文学))」、『朝日新聞』2018年04月21日(土)付。

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野蛮なアリスさん
野蛮なアリスさん
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ファン・ジョンウン
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覚え書:「竹内好とその時代―歴史学からの対話 [編]黒川みどり、山田智 [評者]間宮陽介(青山学院大学特任教授(社会経済学))」、『朝日新聞』2018年04月21日(土)付。

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竹内好とその時代―歴史学からの対話 [編]黒川みどり、山田智
[評者]間宮陽介(青山学院大学特任教授(社会経済学))
[掲載]2018年04月21日

■「対立物の一致」を内包する思想

 竹内好(よしみ)の風貌(ふうぼう)(本書巻頭の写真)はまったく圧倒的だ。柔道家のような頑強な体躯(たいく)、人を射抜くようなギョロリとした眼(め)。まぎれもない大人(たいじん)の風貌である。
 だがその彼がつけた日記には、手にした講演料や原稿料ばかりか、出入りの植木屋への支払いまで記されている。1960年には丸山眞男らとともに安保闘争を闘い、強行採決後に「民主か独裁か」を書く。その彼が約20年前の開戦時には感動に打ちふるえ、「大東亜戦争と吾等(われら)の決意(宣言)」を書いていたのだ。
 まるでカメレオン的人間であるが、しかしカメレオン的人間像ほど彼に遠いものはない。彼の思想は最初の小さな点がやがて線になり、そして面になるというふうに、生成的なものである。後年、あの宣言は戦後の議論につながっている、と語っているが、ここにも、彼の思想の生成的特色がよく表れている。
 本書は竹内の思想生成を6人の歴史家が論じた好著である。戦前の魯迅開眼から戦後の「ドレイ」論、日本文化を、尊大と卑屈、外国崇拝と外国侮蔑が表裏となったドレイの文化と見る議論へ至る過程を主軸とし、いくつかの論点が枝分かれする。文学や言論活動を閉鎖的な空間から開放することを目指した国民文学論、明治の精神という「伝統」に対する竹内の評価、それに彼のアジア主義論。
 竹内の思想には対立物の一致という面が多々あって、例えば丸山眞男によれば、竹内のナショナリズムインターナショナリズムと表裏である。また竹内の明治の精神とは抵抗の精神のことだという本書の著者の指摘は、伝統と個人の主体性が表裏であることを考えるうえで重要であろう。国体論は国家を被造物ではなく自然と見るところに生じるというのは竹内自身の指摘である。
 空想だが、安倍政権下での伝統回帰、明治150年への取り組みを聞いたら竹内は烈火のごとく怒るにちがいない。
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 くろかわ・みどり 静岡大教授。著書に『共同性の復権』など。▽やまだ・さとし 静岡大准教授。
    −−「竹内好とその時代―歴史学からの対話 [編]黒川みどり、山田智 [評者]間宮陽介(青山学院大学特任教授(社会経済学))」、『朝日新聞』2018年04月21日(土)付。

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竹内好とその時代 歴史学からの対話

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覚え書:「憎しみに抗って―不純なものへの賛歌 [著]カロリン・エムケ [評者]齋藤純一(早大教授)」、『朝日新聞』2018年04月21日(土)付。

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憎しみに抗って―不純なものへの賛歌 [著]カロリン・エムケ
[評者]齋藤純一(早大教授)
[掲載]2018年04月21日

■多様性ゆえの安定、再構築を

 このところ「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」といった「憎しみ」を含む言葉を耳にすることが多くなった。実際、ネット上では憎悪表現が当たり前のように飛び交っている。その標的とされ、心身に深い傷を被っている人も少なくないはずである。
 ようやくたどり着いたドイツで住民から罵声を浴びせられる難民、アメリカで警官の暴力的な取り締まりにさらされる黒人、国境での保安検査で屈辱的な扱いを受けるトランスジェンダー(「自然」とみなされる性別が本人の感覚と合致しない人)。本書が取り上げるのは、何を語ったか、何を行ったのかとはまったく無関係に、侮蔑や憎悪を投げつけられる人々である。
 本書を読んであらためて重要と感じるのは、憎しみを引き起こす原因とそれが向けられる対象の間にはほとんど関係がない、ということである。難民や移民はいわば叩(たた)きやすいから憎しみの標的とされる。彼らをいくら叩いたところで、生活不安がなくなるわけではないのにもかかわらず。人に憎しみの感情を抱かせる原因は複雑で解消しがたい一方、標的の選択は単純で、感情の投射は容易である。
 「彼ら」を締めだせば「われわれ」は安全や豊かさを取り戻すことができる。こうした考え方はなぜ執拗(しつよう)に現れるのか。「同質なもの」、「純粋なもの」は予(あらかじ)め存在せず、「異質なもの」、「不純なもの」を特定し、それを排除することを通じてつくりだされる。このメカニズムが、反ユダヤ主義ホロコーストの経験と記憶をしっかりと刻んだはずのドイツでいままた反復されようとしている。余所者(よそもの)は「少しくらい満足しておとなしくなるべきではないか」という感覚はすでに一部だけのものではなくなっている。
 一昨年ドイツで上梓(じょうし)された原著は10万部を超すベストセラーとなり、12カ国語に翻訳されているという。移民を排除すべしという主張は、いまや多くの社会で公然と語られるようになり、それは、憤懣(ふんまん)の捌(は)け口を求める需要に応えている。この本がいま広く読まれているのも、多様な諸価値やそれらのハイブリッド(不純)な交流を肯定する規範が明らかに壊れつつあるという危機感ゆえであろう。
 自身も性的マイノリティに属する著者は、文化的、宗教的、性的な多様性のなかでこそ落ち着くことができる、と言う。多様性ゆえの安定、排他的ではない安全性を構築しなおすために、どのような言葉や行為が必要なのか。私たちは「他者を傷つける能力」を併せもつだけに、そしてその能力はたやすく行使されるがゆえに、いかに憎しみに抗するかという問いをおろそかにするわけにはいかない。
    ◇
 Carolin Emcke 67年生まれ。ジャーナリスト。「シュピーゲル」「ツァイト」の記者として世界各地の紛争地を取材。2014年よりフリー。16年にドイツ図書流通連盟平和賞。
    −−「憎しみに抗って―不純なものへの賛歌 [著]カロリン・エムケ [評者]齋藤純一(早大教授)」、『朝日新聞』2018年04月21日(土)付。

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憎しみに抗って――不純なものへの賛歌
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覚え書:「折々のことば:921 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年11月02日(木)付。

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折々のことば:921 鷲田清一
2017年11月2日

 本当に叫びたいこと、一人一人の腹の底の、血の吹きだすような訴えに、社会は応えてくれない。だからひどくバラバラ。責任がない。

 (岡本太郎

     ◇

 「結局は疎外感だけが残る」と続く。一見何でもやれそうに見える社会だが、人はただ「許された範囲内でもがいている」だけ。息抜きや憂さ晴らしにかまけていないで、その孤立をもっと突きつめよと、前衛芸術家は檄を飛ばす。何ができるか、できないかではなく、何をしたいか、どうありたいかに重心を移せと。『原色の呪文』から。
    −−「折々のことば:921 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年11月02日(木)付。

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折々のことば:921 鷲田清一:朝日新聞デジタル







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