【覚え書】心身論に関するノート(1)

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村上 小説を書き始めるまで、自分の体にはそんなに興味を持っていなかったのです。ところが、小説を書いていると、自分の身体的なもの、あるいは生理的なものにものすごく興味をもつようになって、体を動かすようになりました。そうすると、体が変わってくるわけです。脈拍も、筋肉も、体系も。それと同時に、自分の小説観や文体がどんどん変わっていくのもよくわかる。身体の変化と、精神的なものの変化はやはり呼応しているのですか。
河合、それはもう呼応して当然だと思います。たとえば、昔のいわゆる文士という人たちは、自分たちは言葉、精神の仕事をしているのだから体なんか関係ないというか、体を無視する、あるいは体を軽蔑するのですね。暴飲したりするというのは自分の体を軽蔑しているわけです。そういうところから生まれてくる文体と、村上さんのように体を鍛えてつくる文体とは、絶対に変わってくると思います。
 そういう意味の、身体性まで取り込んだ文体や、作品ということまでは、昔の日本人の作家はあまり考えていなかったのではないでしょうかね。
村上 それは時代的なものもあるのでしょうか。
河合 昔はわりと単純に精神と肉体とを分けて考えたのではないですか。近代の考えはちょっとそういう所があるでしょう。そんな単純なものじゃないことは、最近みんなわかってきたでしょうが、
 近代というのはそもそも、デカルトじゃないですが、心と体を分けてアプローチしようとしたのですね。だから、心が大事だということは、体が大事でない、という非常に単純な考え方があったのではないでしょうか。
村上 最近の若い人は、そういうふうに精神性と身体性をはっきり分けて考えるという考え方は、ずいぶん希薄になってきていると思うんですが。
    −−河合隼雄村上春樹村上春樹河合隼雄に会いにいく』新潮文庫、平成十一年、114−116頁。

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