永井均『私の存在の比類なさ』(講談社) 他者論 ロボットの問題 理由の他者性 感覚の他者性

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ロボットの問題
 この問題は、他人の精神的現象の認識をめぐる問題でもなければ、その意味をめぐる問題でもない。あえていえば、その存在をめぐる問題であるといえよう。
 想定されているのは、外見上人間そっくりのロボットである。外から見たところでは、彼は思考もすれば意図も持つ。喜びや悲しみの人間的感情にも事欠かない。もちろん。言葉を使い、けがをすれば痛そうに顔をしかめ、血を流し、ときには涙も流す。彼と人間の違いはいったいどこにあるのだろうか。答えはかんたん、彼には心がない。心ある振る舞いはするが、絶対的に私的で本質的に内面的な要素としての心そのものが、彼には存在しないのである。これは決定的な違いではないか。
 それでは、彼に心が付与されたとしたらどうなるのだろうか。言うまでもなく、外見上の変化は何も起こらない。彼は、以前と同じように思考し、言葉を話し、ときには泣く。変わったようすはどこにも見えない。しかし今や、彼のそうした振る舞いは内面的な心によって裏打ちされている! これは重大な変化である。だが、外部からは窺い知ることができないはずのこの変化が、外部にいるものにとっても、有意味な変化であるように思えるのはなぜだろうか。まったく同じ問題は、これとちょうど逆のけーすにおいても成立する。他者としての人間、つまり他人から、心が抜き取られる場合である。ある夜、哲学者のK氏は、神の怒りにふれて(?)、心を抜き取られてしまう。しかし、外から見たところでは、彼にはいかなる変化も観察されない。あくる朝、彼は家族とともに朝食をとり、大学に出向いて哲学の講義をおこなう。誰hとりとして、彼に起こった変化に気づく者はいない。しかし実は、彼にはもはや心がない。つまり、いわば、彼はすでに死んでいるのである。原理的に誰にも知りえないこの変化が、にもかかわらず、意味のある変化であるように見えるとすれば、それはなぜなのか。
 この問題には、私の考える真の他者問題へいたる二つの通路が、同時に示されている。第一は、「他者」とはもちろん外部から与えられる規定であるにもかかわらず、他者性のうちには外部からの接近を絶対的に拒絶する地点が必ず存在する、というパラドキシカルな事態である。「他者の問題」の困難性のすべての源泉は、この事態にあると言ってよいだろう。他者が存在するということは、外部からはけっして到達することのできないある極点が存在するということの、外部からなされた洞察にほかならないのである。原理的に外部からは識別できない変化もまた、他者性のこの規定を満たすはずである。
 もちろん、これは意味のある変化ではなく、したがっていかなる意味でもおよそ変化ではありえない、という見解もありうるであろう。だが、そういう見解をとる人は、同じ事が自分に起こった場合を想像してみるべきである。ある夜、私は神の怒りに触れて、心を抜き取られてしまう。しかし、外から見たところでは、私にはいかなる変化も観察されない。あくる朝、私は家族とともに朝食をとり……といった状況でえある。誰ひとりとして私に起こった変化に気づかないとしても、実は、私はもう存在してはいないのである。しかたがって、この状況を「私」を主語にして描写したのは便宜上のことにすぎない。家族とともに朝食をとっているのは、もはや私ではない。それはかつて私の人格を模倣しつつ引き継いでいる、私の模造品にすぎないのである。ここに大きな変化が存在することは、あまりにも明白であろう。これは、私が存在することから私が存在しないことへの変化であり、もし神が一週間前にこの事態を予言したとすれば、私は一週間後の死を予言された者として、恐怖とともにその週を過ごすはずだからである。
 もし、自分に起こるこの変化に意味を認めるならば、当然、他人に起こるこの変化にも意味を認めないわけにはいかない。その理由はかんたんである。他人もまたそれぞれ、この意味での「自分」、つまり「私」でありうるはずだからである。そのことを前提にして、この「ロボット問題」は立てられていた。しかし、そうだとすると、問題は奇妙な様相を呈することになる。最初の問題は、この私ただひとりを別にして、他人とロボットの違いをめぐって立てられていた。誰もがそのつもりで問題の意味を理解する。ところが、誰もがそのように理解するというまさにそのことによって、しかもそのことが問題の提起に際して実は暗に前提されているという事実によって、解答が問題のなかにあらかじめ入り込んでしまうのでえある。この構造は「ロボット問題」に限らず、哲学的他者問題の全域にわたって認められる構造である。他人の心の認識の問題ではなく、その存在の問題であえる「ロボット問題」のような場合に、その奇妙さが特に際だって見えるにすぎない。そして、これが真の他者問題にいたる第二の通路なのである。
    −−永井均『<私>の存在の比類なさ』講談社学術文庫、2010年、36−39頁。

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