どうやら、この國では何をするにも「点」が必要になるように設計されている(>_<)
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最後に、われわれは学問のために設立された、あらゆる種類の学芸が教えられている大学をもっており、そこでは人間の知性、心、言語が錬磨されるべきものとされている。
−−ヴィーコ(上村忠男・佐々木力訳)『学問の方法』岩波文庫、1987年、24頁。
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近代初頭のイタリアの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコ(Giambattista Vico、1668−1744)によると、大学とは、「人間の知性、心、言語が錬磨されるべき」場所のようですネ。
しかし、その大学とやらへ入るためには、どうやらこの国土世間では、「点」というものが必要らしい。
しかし、その「知性、心、言語が錬磨されるべき」場所に機械的な総体的な「点」というものは必要なのかしらん???
そして、そこから社会という海原へ飛び出して、「就職」しようとしても、様々な「点」というものが必要になってくるという社会構造。
どうやら、この國では何をするにも「点」が必要になるように設計されている(>_<)
宇宙人ジョーンズではありませんがorzだわいな。
しかし、いずれにしても、今週末はセンター試験ですね。
受験生の皆様、がんばってください。
そして、「点づくり」から解き放たれた学問というものも僅かですが存在しますので、その醍醐味を堪能しつつ、「人間の知性、心、言語」を精一杯錬磨して欲しいと思います。
そのためには、私は何でもやりますからwww
ということで、調子が良くないので呑んでねる。
⇒ 画像付版 http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/_-f2a1.html