学問は方便なり、独立独行の生活は目的なり。
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飯田広助 明治三十年一月六日
新年目出たく申し納め候。
一月一日縷々の来示、昨年中は色々ご心配の事のみ、兵役の方ご免除なれども、その後地方の水害、かたがたもってご出京もむつかしきよし。これは致し方これ無く、また退いて考うれば勉学必ずしも学問にあらず、近時交通便利の世の中、閑を偸て折々ご出京然るべし、随分利する所あるべしと存じ候。
学問は方便なり、独立独行の生活は目的なり。勇を鼓して独立を謀り、これを謀り得て安心の境遇に至る上は、すなわち地方の改良に志し、人民一般の気品を高尚にするよう致したく、これに就ては色々お話申したき事にござ候。
拙家は先ず無事安寧、本年元旦
家を成してより三十七回目の春
九人九孫寿を献ずるの人
歳酒妨げず杯を挙ぐることの晩きを
却って誇る老健の一番新たなるを
ご一笑下さるべく候。妻を娶りて三十七年、四男五女を産み、今は九人の孫を得たり。老生年六十四、老妻五十三歳、先ず無事に暮し居り候。憚りながらご安意願い奉り候。
右拝報まで匆々の如くにござ候。頓首。
三十年一月六日 諭吉
飯田広助様 几下
老生書は甚だ拙なれども一葉認め候間、差し上げ申し候。
−−慶應義塾編『福沢諭吉の手紙』岩波文庫、2004年、186−187頁。
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176年前の本日、慶應義塾の創立者・福澤諭吉(1835−1901)大先生がご生誕遊ばされました。
いやー、目出度い。
慶應社中で「先生」と呼ぶことができるのは福澤先生しかいませんw(キリッ
いやー、うれしいねい。
だから疲れているけれども、酒が旨い。
福澤先生は、思想家ではなく文明の紹介者にすぎないという穿ったものの見方が広く流通しておりますけど、そんなことはありませんよ。
何のために学問をなすのか。
生きるためにやるわけです。
目的と手段の混同ほど怖ろしいことはありません。
今一度、「学問は方便なり、独立独行の生活は目的なり」というこの言葉をかみしめたいものです。
これは単なる実用一元主義ではありませんからあしからず。
学問と生活世界の豊かな相関関係を保持したリアリティのある言葉です。
ということで、一足早く春の訪れを告げるたらの芽の天ぷらで乾杯です。
⇒ 画像付版 学問は方便なり、独立独行の生活は目的なり。: Essais d'herméneutique