「雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、『これに歌よめ。いかが言ふべき』」などとね……
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村上の前帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、「これに歌よめ。いかが言ふべき。」と、兵衛の蔵人に賜せたりければ、「雪月花の時。」と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたることなむ言ひがたき。」とぞ、仰せられける。
−−清少納言(池田亀鑑校訂)『枕草子』岩波文庫、1962年。
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清少納言(966?−1025?)の『枕草子』を紐解きながら、今年は全国的に雪が多いのにもかかわらず、一向に東京では降らないなア〜と思いつつ、諸事の片づけで外出をしておりますと、梅はその美しい姿で春の訪れを告げておりました。
近所の庭木用の梅林ですけどね。
雪はふっておりませんが、梅の花はいいものです。雪と可憐なセッションをしてくれると嬉しい次第なわけですが、マア、雪がふると都市機能が低下し困ってしまうので、「ふれ、ふれ」とはいえませんが、すこしぐらい欲しいところでもあります。
やはり梅は「雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、『これに歌よめ。いかが言ふべき』」などとやりたいものですね。
⇒ 画像付版 「雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、『これに歌よめ。いかが言ふべき』」などとね……: Essais d'herméneutique