いまの私は、ほろ酔いになったところで、やめてしまう。
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そのほかに大酒したのは、太平洋戦争中に、私の出征がせまり、これも名古屋で、何年かぶりで父と会い、大須の宿屋の二階で、やはり三升ほどのんだことがある。酒は、父が工面してきてくれた。
このとき、父から、
「お前さんが四つのとき、台所にあった一升びんから酒をのんで熱を出したので、私が雪の中をころがして熱をさましたことがある」
と、いわれた。
父は嘘をつく人ではないから、おそらく、そんなこともあったのだろう。
いまの私は、ほろ酔いになったところで、やめてしまう。相手にとっては、おもしろくないだろう。また、二合、三合までは顔が赤くなるので、相手は(大分に酔っているようだ)と、おもってくれるし、私の酒は、あまり強くないとおもわれているので、まことに、さいわいなのだ。
だから、私の酒は、まさに、
「百薬の長」
と、いってよいだろう。
−−池波正太郎「酒」、『日曜日の万年筆』新潮文庫、昭和五十九年、190−191頁。
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先日、ひさしぶりに国分寺の焼きとり・焼きとん屋「四文屋」へサクッと寄って(=酔って)きたのでひとつ。
飲み屋は飲み屋なのですが、居酒屋ではありません。
まあ、酒は呑ませてくれますが、カウンターとテーブルが少しある焼き鳥やというのが正確なところでしょう。
ですから、長っ尻で、ネチネチとやるというよりは、いただくものをポンポン頼んで、手早く、さっとやってしまう場所といったほうがよいかと思います。
ですから、二合、三合ぐらいでちょうどよい「百薬の長」として酒と肴を楽しむ場所というのが「四文屋」さんではないかと思います。
むかしはこーしたお店が比較的各所にあったような気がしますが、ここ十年でだいぶこうした隠れ家がへってきたことは寂しいばかりです。
さてその日は、以下の通り。
・瓶ビール(SAPPORO黒ラベル)×1
・キンミヤ焼酎(梅割)×2
アスパラガスではじめて……
ハラ、ハツを塩でw
シロをタレで頂戴して
栃尾の油げ焼(ハーフ)で口直し。
とり皮(タレ)と手羽ネギ(塩)でクローズ。
正直、これぞッっていう激ウマではありませんが、わるくもなくというのが正直なところですが、マア、それでも30分ていどかけてゆっくり呑みましたので、大満足。
これで2200円。
凝縮された時間で味わい、ほろ酔いぐらいで辞めておく……。
独り酒は深酒になる可能性がたかいのですが、長居のできないところだからこそ、うまくせーう゛しながら「百薬の長」として楽しむことができるわけで、まさに大人の隠れ家ですね。
さて……あとは少しカメラ関連の余談。
その日は、Nikonのコンデジ、COOLIX S4000という入門機のようなデジカメで撮影をしましたが、まあ、それなりには写るのかなあ、というインプレッション。
同クラスのCanonのIXYだとプログラム撮影ぐらいできるのである程度撮影者が調整しながら撮影が可能なのですが、Nikonのコンデジ(ハイエンド除く)は基本的にオートかシーンモードしかないんですけど、最近のコンデジはそのモードでも優秀に撮れるのでしょうか。ピンは甘いのですが、それなりに写っているなアという実感です。
国産銀塩カメラはNikon党でしたが、デジカメになってからCanonばかりですね(苦笑
悪くはないのですけど……ねぇ。
⇒ 画像付版 いまの私は、ほろ酔いになったところで、やめてしまう。: Essais d'herméneutique