餓死目前の人々に、あなたは実は仏そのものだと説くことが、果たしてどれほど意味のあることなのだろうか……。








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 天台宗をはじめとする伝統仏教の色濃い影響を残しながらも、日蓮が『立正安国論』において独自の世界を切り開くことができた原因はどこにあったのだろうか。
 『立正安国論』執筆に先立つこと七年の一二五三年(建長五年)、日蓮はいわゆる「立教開宗」を行って、激しい念仏批判を開始した。彼は留学帰りのエリート学僧としての平穏な生活と決別し、あえてみずからの信念に身を委ねた。『立正安国論』の提出も、その生命すら危機にさらしかねない行為であることは、日蓮自身よく承知していたはずである。にもかかわらず、日蓮はわざわざ火中の栗を拾うような行動に出たのであろうか。
 『立正安国論』は、正嘉年間に東日本を襲った飢饉がもたらした凄惨な状況から説き起こされている。一二五七年(正嘉元)から、大地震に襲われた東日本では寒冷な気候が続き、それに長雨と嵐が加わった。飢餓によって体力を失った人々を、今度は疫病が襲った。街道と市街のいたるところに行き倒れの死体が散乱し、その周囲を餓死寸前の人々が徘徊していた。
 日蓮比叡山で学んだ天台の教えでは、あらゆる人々がその本質において仏であり、この世界を離れては浄土もありえないと説かれていた。煩悩にまとわれた凡夫はふだんはそのことに気づいていないが、自分が仏であることを覚醒した瞬間、周囲も即座に永遠の浄土と化すのである。
 しかし、現状はといえば、地面に倒れ伏して死を待つだけの無数の老若男女がいるだけだった。これらの人々は、何の罪あってこうした目に遭わなければならないのであろうか。餓死目前の人々に、あなたは実は仏そのものだと説くことが、果たしてどれほど意味のあることなのだろうか……。
 真の意味での仏教者としての日蓮は、この惨状を直視することからスタートを切ったといってよい。日蓮は周囲で繰り広げられる地獄の光景に深く心を痛めると同時に、その原因を作った者たちに対して、激しい怒りの念が沸き起こってくるのを禁じえなかった。日蓮の憤りは第一に、問題を引き起こした張本人でありながら、現実に背を向けた人々に彼岸への亡命を勧める念仏者に向けられた。次いで、安国実現の使命を忘れて悪法を尊ぶ権力者が批判の槍玉にあげられた。日蓮の怒りはまた、衆生救済の精神をどこかに置き去りにしたまま、空虚な教学を弄ぶ既成仏教の僧侶たちにも及んだ。日蓮は、それまでの人生で得た地位のすべてをなげうつ結果となっても、彼らと正面から対決する道を選んだ。
 かつて権門寺院から異端として排撃され続けてきた専修念仏も、日蓮の時代にはすでに旧仏教との和解を実現し、幕府権力と結び付いて体制仏教化していた。それゆえ、鎌倉幕府に対する日蓮の『立正安国論』提出という行動は、同時代の政治的・宗教的権威に対して、ともに挑戦状を突き付けたことを意味した。激しい反発は当然予想された。しかし、日蓮は身命を惜しまず信念を貫く実践こそが、仏から授けられた聖なる使命であると確信していたのである。
    −−佐藤弘夫日蓮立正安国論」全訳注』講談社学術文庫、2008年、47−49頁。

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教理が先に立つと人間から離れてしまう。
論理が先に立つと人間から離れてしまう。

そして逆に人間生活世界に惑溺してしまうとずるずるべったりとなってしまう。

極端を排しながら、人間生活世界のなかで、人間のなかで、教理と論理を確認しながら進むしかない。






⇒ ココログ版 餓死目前の人々に、あなたは実は仏そのものだと説くことが、果たしてどれほど意味のあることなのだろうか……。: Essais d'herméneutique