田中正造 日記 明治31年4月2日
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日記 明治31年4月2日
四月二日 東京芝の芝浦の塩湯ニ養生す、一月以来の病苦聊か補ふあり。
一、一声高く嗚呼関東ハ不幸なりと叫びたり。
声立てよ嗚呼関東ハ不幸なり
国民は、法律師ノ奴隷タルベカラズ。被害民ハ被害地を指テ、我ハこの国土の所有主タルコトヲ忘ルベカラズ。人モシ善ヲ進メタランニハ、一歩ニテモ可ナリ。モシ人ヲ誹ラバ、善ヲ退クナリ。悪シキ人ハソノ事ヲ排スベシ。タダ我〃ハ善ヲ行ウテ止マザルニアルノミ。
−−由井正臣・小松裕編『田中正造文集(一)』岩波文庫、2004年、167頁。
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この田中正造翁(1841−1913)の言葉は、少し真剣にうけとらないと。
⇒ ココログ版 田中正造 日記 明治31年4月2日: Essais d'herméneutique