どんな本も、それは自分を解放する手がかりだ
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すべての本はやがて失われる。だが、自分の読んだ本は、自分が自分をとらえる手がかりであり、もうひとりの自分というものである。人間のつくった本は、本という形を超えて、人間の活動の中に生きている。
ブラジル、ユーゴスラヴィア、フランス、米国、イギリスなどで、それぞれの言語で俳句と連歌が新しくおこっている。それらは、室町時代以前の日本の文化から刺激を受けており、世界それぞれの土地、それぞれの言語で俳句や連歌を試みる人のあいだに、自分たちの言語では読めない本に向かって手をさしのべる試みがある。人間の歴史の向こうには、現在を超えて、読めないが読みたい本への希望がある。
私は、自分が老いるにつれて、子どものころの、ありとあらゆる本を読むという理想が失われ、自分の読むことのできない本を、向こうに静かに眺める位置に移っている。しかし、未来にあるどんな本の中にも、私はとじこめられたくない。どんな本も、それは自分を解放する手がかりだ。
−−鶴見俊輔編、鶴見俊輔「本という自分」、『本と私』岩波新書、2003年、10−11頁。
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東日本大震災の影響で、出講先の短大での講義が1ヶ月遅れでGW開けになりましたが、いよいよ本日が初回の講義。
これまでもつねづね、自分自身が心掛けてきたのは、学生さんたちに「学生時代にいっぱい本を読みなさいよ」ということ。
こういうご時世ですけど、本をきちんと読んでおかないとはじまりません。
そのきっかけづくりの一コマ一コマになればと思う次第。
何しろ、本当に価値のある本というもの「自分を解放する手がかり」ですからねw
⇒ ココログ版 どんな本も、それは自分を解放する手がかりだ: Essais d'herméneutique