かくして……計画的に……自由となるのけ?
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三 プロレタリア革命。矛盾の解決、すなわち、プロレタリアートは公共権力を掌握し、この権力によってブルジョワジーの手からはなれ落ちつつある社会的生産手段を公共所有物に転化する。この行動によって、プロレタリアートは、これまで生産手段がもっていた資本という性質から生産手段を解放し、生産手段の社会的性質に自己を貫徹すべき完全な目標を与える。かくして今やあらかじめ立てた計画に従った社会的生産が可能となる。生産の発展は、種々の社会階級がこれ以上存続することを時代錯誤にする。社会的生産の無政府状態が消滅するにつれて国家の政治権力も衰える。人間はついに人間に特有の社会的組織の主人となったわけであって、これにより、また自然の主人となり、自分自身の主人となる。−−要するに自由となる。
この解放事業をなしとげること、これが近代プロレタリアートの歴史的使命である。この事業の歴史的条件とその性質そのものとを探究し、以ってこれを遂行する使命をもつ今日の被抑圧階級に、彼ら自身の行動の条件および性質を意識させること、これがプロレタリア運動の理論的表現である科学的社会主義の任務である。
−−エンゲルス(大内兵衛訳)『空想より科学へ 社会主義の発展』岩波文庫、1966年、92頁。
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仕事の休憩中に、エンゲルス(Friedrich Engels,1820−1895)の『空想より科学へ』(Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft,1880)を読み直していたのですが、その熱意はわからなくはないのだけれども、どうしても社会主義といいますか、共産主義を含めた意味合いでの革命図式には、頷くことが出来ない自分がいるなあ、ということを再確認した次第です。
この著作は、主著といってよい『反デューリング論』を抜粋してつくった「社会主義入門」とでも呼ぶべきパンフレットになりますので、少し過激といえば過激ですが、やはりそれだけエッセンス化したものでもありますので、彼の息吹と熱意は感じるのですが、どうしても、やはり……。
ふうむ。
……というところでしょうか。
何が、「ふうむ」かと申しますと、「かくして今やあらかじめ立てた計画に従った社会的生産が可能となる。生産の発展は、種々の社会階級がこれ以上存続することを時代錯誤にする。社会的生産の無政府状態が消滅するにつれて国家の政治権力も衰える。人間はついに人間に特有の社会的組織の主人となったわけであって、これにより、また自然の主人となり、自分自身の主人となる。−−要するに自由となる」というものの見方でしょうか。
社会変革の理論は、人間を後においてははじまらないわけですが、理論や構築すべき理念というものが彼らにはどうしても先に来てしまうというところ。
もちろん、現実に挑戦!といって、構築すべき理念やそれに伴う理論というものを無視してもよいというわけではありませんけれども、これはどちらが先かという議論よりも、両方を検討しながらやっていかないとまずいのでは……というのが私の正直なところ。
理屈先行だとによって人間が台無しにされてしまうし、「あるべき」を欠如した現実への惑溺は、現況を開拓できないし……というところでしょうか。
まあ、ふうむ……ですよ。
……などと思案するよりも早く寝た方がよいのですが、、、
今日は久しぶりにといいますか、今期初の宅内呑みで、冷やしトマト。
午前中はクソ暑い一日でしたが、午後からメチャ寒い一日。
ほんま、どうなっているのでしょうかねえええ。
⇒ ココログ版 かくして……計画的に……自由となるのけ?: Essais d'herméneutique