悲哀の人にして信仰の人、愛国の人にして希望の人。




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 イザヤは透徹した真実の眼をもつて国と世界の現実を見たがゆゑに、悲哀の預言者たらざるをえなかつたのですが、同時に彼は信仰の眼をもつてエホバの真実によりたのんだから、かくも大なる希望の預言者となつたのです。
 悲哀の人にして信仰の人、愛国の人にして希望の人。彼によつて国家の理想は明らかにされ、正義と平和は世界の指導原理として高く掲げられました。彼によつて国難の意味は明らかにされ、国家復興の道は示されました。愛する日本が敗戦による国難・国辱に陥つたことの意味を知り、この中から新たなる日本として復興する道は、イザヤの預言をおいて他にありません。私どももまた彼の預言の正統を引くところの信仰の預言者、愛国の預言者、希望の預言者を絶対に必要とします。たとひその人の生涯は悲哀の人たるを免れないとしても、国家復興の希望は全くこのやうな預言者の信仰にかかるのであります。
    −−矢内原忠雄『続 余の尊敬する人物』岩波新書、1949年、45頁。

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震災以降、『旧約聖書』を紐解くことが多くなりました。
責任をもって生きていくということは、様々なものに目をつぶらず、しっかりとそれを捉え、そして自分自身の問題としていきていくということでしょうか。

ひとりひとりの人間が聡明に、預言者としての自覚をもって生きていくしかないということなのですが・・・。






⇒ ココログ版 悲哀の人にして信仰の人、愛国の人にして希望の人。: Essais d'herméneutique


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