【覚え書】「反射鏡 岡本太郎と原発と『途方もない生命力』 論説委員長 冠木雅夫」、『毎日新聞』2011年7月17日(日)付。




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反射鏡 「岡本太郎原発と『途方もない生命力』」 論説委員長 冠木雅夫

 大震災から1カ月ほどして東京国立近代美術館で「生誕100年 岡本太郎展」を見た。あれほど有名なのに国立美術館で個展は初めてという。異端の作家ゆえだろう。会場に若い人が多いのに驚いた。1970年の大阪万博を実見した人は少ない様子。巨大な「太陽の塔」と「お祭り広場」の群衆の写真に「へえ、こんなふうに立ってたんだ」などという驚きの声が聞かれた。核爆発の瞬間を描いた「燃える人」や「明日の神話」(下絵)では原発事故を想起した人も多かったのではないか。
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 その少し後、「明日の神話」の本体が原発事故と関連付けられる騒ぎに巻き込まれた。横30メートル、縦5・5メートルの巨大壁画である。「太陽の塔」と同時進行でメキシコで制作されたが長く行方不明だった。03年に発見され、08年から東京のJR渋谷駅と京王井の頭線を結ぶ連絡通路に設置されている。壁画には設置予定場所の関係で左右の下隅に細長い空白がある。その右下部に若手の芸術集団が爆発する原発建屋を描いた絵(縦約80センチ、横約2メートル)を付け足しのだ。3人が軽犯罪法違反(はり札)容疑で書類送検されている。
 原爆がさく裂する瞬間にバラバラにはじめる白骨。悲劇に直面しながら負けず対抗する人間の生命力が描かれる。岡本の秘書・養女敏子さん(05年没)は「画面全体が哄笑している」と解説した。人間の途方もない力を示そうとした絵である。
 原水爆をモチーフとしてきた岡本だが、原発を描いたものはないと聞く。だが岡本と原発とは不思議な因縁がある。例えば大阪万博である。
 岡本が「人類の進歩と調和」という基本テーマに「ノン!」を突きつけようとしたことは有名だ。それも企画の中枢に参画しながら。そして岡本の「太陽の塔」が万博の最大のシンボルになる。本人もよほど気に入ったのだろう。「ものすごい。これが自分の作ったものかとあきれるばかりのベラボウさだ」(本紙70年3月8日付)。
 発想の由来が面白い。回顧文「万国博に賭けたもの」によると、岡本は当初、テーマ展示プロデューサーの承諾を迷っていた。そんな次期に丹下謙三による「世界一の大屋根」をつり上げる広場の模型を見た。「こいつをボカン!と打ち破りたい衝動がむらむらわきおこる。優雅に収まっている大屋根の平面に、ベラボーなものを対決させる……屋根が三〇mなら、それを突き破ってのびる−−70mの塔のイメージ」。「西欧的近代主義と(日本の)伝統主義」を同時に蹴飛ばそうとして原始の生命力に満ちた途方もない巨像を構想したのだろう。
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 大阪万博は日本の原発にとって大きな意味があった。公式記録(第2巻)は「会場に供給された電力は原子力発電による……『人類の進歩と調和』をテーマにした万国博会場が、“原子の灯”で輝いた」と記している。開会式の3月14日に日本原子力発電敦賀発電が営業運転入り、8月8日には関西電力の美浜も会場に試送電を始めた。東京電力福島第1の1号機も11月に初発電に成功、「原発元年」とでもいうべき年だった。
 同年には関電・高浜、中国電力・島根が着工、九電・玄海、中部電・浜岡、東北電・女川の設置許可が出た。6月には東電と東北電が青森県東通村に日本最大の玄力発電センター(2000万キロワット)の建設計画を公表。9月には日本原子力産業会議が昭和65(1990)年末の原子力発電設備容量を全体の42%にあたる1億2000万キロワットとする構想を発表した。石油ショック(73年)はまだ先だが、すでに原発増設は大車輪だった。
 一方、当時の世を揺るがしたのは公害問題だった。四日市の大気汚染、水俣病などが注目された。11月から「公害国会」が開かれ、翌年に環境庁(今の環境省)が設置される。71年版「公害白書」は反対運動で着工が遅れた火力発電が「昭和45年度に約400万キロワット程度」あるとして電力不足を懸念していた。火力発電の立地問題が原発増設の一つの大きな理由だった。
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 15年前に死去した岡本の人気が復活している。敏子さんの尽力や生誕100年のさまざまなイベントによるところが大きい。だが何よりも岡本自身と作品の持つ力だ。それらが震災と津波原発事故により深刻な事態となっている今と共振しているのだろう。岡本が作品で示したように人間にはベラボウな途方もない生命力があるはずだ。私たちにもこの難局を乗り切る力があることを信じたい。
    −−「反射鏡 岡本太郎原発と『途方もない生命力』 論説委員長 冠木雅夫」、『毎日新聞』2011年7月17日(日)付。

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【覚え書】の連投で恐縮ですが、岡本太郎(1911−1996)の「ベラボウな途方もない生命力」に関する議論も表層的ですが、1970年という年が現在の社会構造を深く規定する一年であたという事実をわすれないためにひとつ紹介しておきます。





⇒ ココログ版 【覚え書】「反射鏡 岡本太郎と原発と『途方もない生命力』 論説委員長 冠木雅夫」、『毎日新聞』2011年7月17日(日)付。: Essais d'herméneutique


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