「現実生活の上で国家的忠誠が決定的に優位に立ったのは、ようやく十九世紀以後」のこと





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 今日世界中において「ネーション」は忠誠市場における、たとえ独占体ではなくも、少なくとも寡占体として公認されている。しかし人類史の長い発展過程から見れば、これはきわめて新しい現象であって、人間の忠誠対象はむしろ宗教上の絶対者(またはその代理人および教理)に、圧倒的な比重で向けられて来たし、今日でも広汎な「発展途上地域」では依然としてそうである。世界史上で、政治的=俗的権力と宗教的=教会的勢力とは忠誠の争奪をめぐっていたるところではげしい葛藤をくりひろげて来た。国家という統治体(ボディ・ポリティック)のモデルを生み出したヨーロッパにおいて、国家と教会との関係がひとり思想史だけでなく、ひろく文化史や政治史を貫通する主要旋律をなして来たのは周知の事柄であり、しかも、現実生活の上で国家的忠誠が決定的に優位に立ったのは、ようやく十九世紀以後のことである。
    −−丸山眞男『忠誠と反逆』筑摩書房、1992年、58−59頁。

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ふつー、人々は、忠誠の対象としての集団を、国家にのみ限定しがちですが、これは「昔からあった」ものではなく、近代において特殊に成立した出来事であることを踏まえておくことは必要でしょう。

忠誠の対象となる集団は、家族、党、企業、宗教(団体)などを考えることができますが、近代の国民国家の成立とは、究極の忠誠対象を国民国家共同体に一元化する過程であったといっても過言ではありません。

もちろん、国民国会以外の組織体が忠誠の対象であったような人びとは存在しましたし、いまなお存在します。しかし、基本的には忠誠とそれに対する見返りという駄化と調教の最も完成された世俗のシステムは国民国家であることは否定できません。

しかし、先に言及したとおり、これは国民国家が「神話」として提示するように「はるか昔からあった伝統」ではありません。

「現実生活の上で国家的忠誠が決定的に優位に立ったのは、ようやく十九世紀以後」のことにすぎません。

その間に創作された神話のみを判断材料として、その国民国家の伝統を「数千年の伝統」などと見てしまうことは、大きな落とし穴。







⇒ ココログ版 「現実生活の上で国家的忠誠が決定的に優位に立ったのは、ようやく十九世紀以後」のこと: Essais d'herméneutique


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