学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。




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 学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。
    −−ヴェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波文庫、1980年、30頁。

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ヴェーバーの指摘する「構え」としての「謙遜の念」は、学問だけに当てはまる問題じゃないんだよな〜。

最近、このことを至極実感する次第です。

「問題提出」に対して、それと格闘することを回避して、守旧するという態度は、自分自身が「大切」にしているものすら「汚して」しまうわけなのですけど……、そのことを理解していない人間が多すぎて(涙

むか〜し、「反省は猿にでもできる」というキャッチコピーがありましたが、「猿にはできるけど、人間にはできない」って註釈をいれたほうがいいんじゃねえのかって思うことが多いですねぇ。






⇒ ココログ版 学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。: Essais d'herméneutique


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