“ヒトラーの哲学は稚拙である”以上に稚拙だけど声が大きいんですよw
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ヒトラーの哲学は稚拙である。けれどもそこでは多大な始原の潜在力が消費されて、その圧力のもとで、見すぼらしい空説虚言の殻は炸裂してしまう。そうした潜在力がドイツの魂の秘められた郷愁を目覚めさせる。伝染病とか狂気とかである以上に、ヒトラー主義は基礎的な諸感情の覚醒なのである。
−−レヴィナス(合田正人訳)「ヒトラー主義哲学に関する若干の考察」、『レヴィナス・コレクション』ちくま学芸文庫、1999年、92頁。
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東京都知事、それから大阪府知事の暴走をヒトラー(Adolf Hitler, 1889−1945)とアナロジーさせる言説をちらほら見受けることがありますが、正味のところ、ヒトラーレベルに達してもいない……というか僕の認識では手法としてもその初手にも到っていない“禿びマッチョ”orzってのが正味のところですが……「稚拙」な議論だとは思いますが、ただひとつ共通している点は、それでもなお存在するもんですネ。
大声で怒鳴る・罵倒する・断定することが思考麻痺を呼ぶというスタイル……。二人は何かをデザインしようとしているのではなく、ただ壊したいだけ。
現状が良くないってことは大抵のひとは理解している。
そこにつけ込み、「昔の方がましだった“かもしれない”」って「郷愁」を目覚めさして力を増幅させているのが実状でしょう。
たしかに「昔の方がましだった」ものもあるし、そうでない部分もあります。ただ、その精査を割愛して“かもしれない”ってところに乗っかかり、デザインなき暴走へ突き進むことには敏感になっておく必要があるのか知れません。
時代が時代だけに、“騒音の向こう”にあるところをじっくり見ていかないとまずいっすね。
⇒ ココログ版 〝ヒトラーの哲学は稚拙である〟以上に稚拙だけど声が大きいんですよw: Essais d'herméneutique