覚え書:「文化:東日本大震災:三陸鉄道 原武史・明治学院大教授と復興の現場をゆく」、『毎日新聞』2011年10月13日(木)付。






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東日本大震災三陸鉄道 原武史明治学院大教授と復興の現場をゆく


 東日本大震災は鉄道にも激甚な被害をもたらし、多くの路線がいまだ復旧していない。いち早く一部路線で運転を再開し、3年後の全線復旧を目指す岩手県三陸鉄道を、鉄道に詳しい原武史明治学院大教授(日本政治思想史)とゼミの学生らが、1泊2日で訪ねた。復興を待つ鉄の道から、何が見えてくるのか。記者も、地図エッセイストの今尾恵介さんや編集者らと同行した。【鈴木英生】

鉄の道が命綱
全通なお時間
 同鉄道は3月11日の東日本大震災後、同29日までに北リアス線の半分の区間で運転を再開した。同線の残り区間南リアス線は、いまだに不通。被災箇所は両線合わせて317に上る。2014年4月の全線再開を目指しているが、復旧費110億円を自社では支払えず、国が大半を負担する見込み。
 訪問初日は北リアス線に乗車後、同線の不通区間を貸し切りバスで見て回った。最も被害の大きい島越駅は、駅舎と高さ約13メートルの陸橋上のホームが全壊していた。
 翌朝、宮古駅で同鉄道の望月正彦社長の話を聞いた。望月社長は「(鉄道開業前の唯一の公共交通だったバスが走る)国道へ出るのに、徒歩で1時間かかる集落もある。駅が集落内にできる前は、下宿して高校に通う生徒もいた」と、鉄道の重要性を訴えた。「去年、三陸鉄道を利用したツアー客は約9万人。十数億円の波及効果がある」と観光への貢献も強調。「とにかく、一刻も早く国の復興予算を付けてほしい」と繰り返した。
その後、私たちは宮城県気仙沼市まで南下した。以前、北リアス線南リアス線の間はJR山田線が結んでいたが、こちらは復旧の見通しが立っていない。
 南リアス線で印象的だったのは、吉浜駅の周辺だ。明治の大津波後、集落が高台に移転したため、今回は被害がなかった。ただし、この付近は地形がなだらか。急斜面が多い他地域とは条件がかなり異なることが、一見して分かる。案内役の冨手淳・同鉄道旅客サービス部長は「高台移転は、やりやすい集落とそうではない集落の差が大きく、一概には無理です」と話していた。
 南リアス線の終点、盛駅そばの車庫では、原教授が三陸にとっての鉄道の意義を、改めて学生に講義した。鉄の道復旧が、被災地の命綱となるのかもしれない。


視察を終えて 原武史教授と今尾恵介さんの話
◇人生の復旧、まず鉄道より始めよ−−原武史明治学院大教授
 山が海に迫る地形の三陸では、道路は高低差が大きくてカーブも多く、相当の難所になっている。他方、鉄道はトンネルでまっすぐに抜けられて、快適に移動できる。気象の影響も受けにくい。三陸鉄道の開業で、自宅から学校へ通えるようになった高校生の話のように、地方の鉄道には、人生を左右するほどの重みがある。
 都会の人間も普段、駅を待ち合わせ場所に使うなど、街の中心として理解している。ましてや地方では、その重みが違う。だからこそ、震災復興もまずは鉄道からだ。JRは被災地の意見が集約されるまで復旧作業を控えているようだが、発想が逆。実際、気仙沼線陸前横山駅前には仮設住宅が建っている。柳津−陸前横山間の1区間を復旧させるだけで、住民の生活はずっと改善される。JRは「待ちの姿勢」でいいのだろうか。
 首都圏の私たちは、三陸のような地形に住む人の「鉄道路線がほしい」と切実に願う感覚を理解しにくい。鉄道に限らず、私たちは首都圏=日本という錯覚にとらわれ、日本をフラットなものだと思い込みがちだ。地方には、首都圏では絶対に見えない、しかし紛れもない日本の姿がある。鉄道は、日本の複雑さを知る格好の素材なのだ。

◇統計に表れない鉄道の存在感−−地図エッセイスト・今尾恵介さん
 今回の視察で、公共交通の意義を地域生活との関わりで考える大切さを改めて痛感した。従前から採算性に疑問のある道路や橋はお構いなしなのに、鉄道の赤字を公費補助で埋めることには批判が集まる。「高校生と老人しか乗らないモノに税金を使うな」と。
 しかし、鉄道が廃止された後のバス路線の乗客は、たいてい共存時代より激減し、そのバスも数年後に廃止されるような例が目立つ。また、鉄道はバスや乗用車と違い、レールや駅舎など「モノ」としての存在感が大きく、統計に表れない象徴的な「公共性」がある。だから、乗客が少なくなっても、駅はずっと「町の顔」だ。
 そのうえ、高齢化がますます進む中、車が運転できない人から移動の自由が奪われるとしたら……。以前、富山市内に路面電車を新設した森雅志・同市長が「市民の3割は自動車を運転できない」と語っていた。子供や障害者なども含む割合だが、3割は大きい。
 「高齢者が病院へ行くときはタクシーを使えばいい」という話ではない。最近の障害者対策は障害者に特化せず、誰もが同じように利便性を享受できるユニバーサルデザイン的な考え方に変わりつつある。この方向で公共交通機関のあり方も考えるべきだと思う。

三陸鉄道
 1984年4月、旧国鉄久慈線宮古線、盛線と新設部分を合わせて開業した。国鉄赤字路線を引き継いだ初の第三セクター鉄道北リアス線宮古−久慈、71キロ)と南リアス線(釜石−盛、36・6キロ)がある。
    −−「文化:東日本大震災三陸鉄道 原武史明治学院大教授と復興の現場をゆく」、『毎日新聞』2011年10月13日(木)付。

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覚え書なので、コメントする必要はないのだけれども、原武史氏の末尾での指摘、すなわち「首都圏の私たちは、三陸のような地形に住む人の「鉄道路線がほしい」と切実に願う感覚を理解しにくい。鉄道に限らず、私たちは首都圏=日本という錯覚にとらわれ、日本をフラットなものだと思い込みがちだ。地方には、首都圏では絶対に見えない、しかし紛れもない日本の姿がある」……というのは重い一節だと思う。

わたし自身、東京に住んで20年以上になるけれども、東京からすべてを計っていくという眼差しは、大切なものを見落としてしまうことになるから……。

自戒を込めつつ。。。




⇒ ココログ版 覚え書:「文化:東日本大震災:三陸鉄道 原武史・明治学院大教授と復興の現場をゆく」、『毎日新聞』2011年10月13日(木)付。: Essais d'herméneutique



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