雑録:「覚え書」の紹介に関して・・・





少しだけ雑感を残しておきます。

ひとつは原発関係の記事をスクラップ……「覚え書」として……していること。
もうひとつは、『毎日新聞』の記事が多いことに関して。

1つ目から。
覚え書として東京電力福島第一原発の事故に関する記事をスクラップしています。

大学生のときに、堀江邦夫『原発ジプシー』(現代書館、1979)を読んでから、「消極的な反対」の立場に立って来ましたが、正直なところ、ラッダイトイズムのような「ぶっ壊せ」っていう感覚には違和感があります。

もちろん、無くなった方がいいのでしょうけれども……。

……ってこういう感じだから、ダメなのはわかっているのですが、生きている人間を無視したような先鋭化した議論にはついてけないと思うのが僕の正直なところです。

だから「消極的な」と表記しました。

加えて、その「消極性」が「変革の気運を削ごうとする貴様の脆弱さは、利敵行為だ!」って後方からつるし上げられることも承知しています。

しかしながら、これは趣味の問題かも知れませんが、政治将校とか督戦部隊のようなソレはあんまり好きじゃないんです。

要するに、それがどのようなものであれ正しいと認識するのであるとすれば、つるし上げるっていうのは少し文脈が違うような気がするという訳です。

ただ知に関わる人間のこうした曖昧さが結果としては「水に落ちた犬」を復活させてしまうのかも知れないのだけど・・・。難しいですね。もう一度魯迅でも読み直してみようかとは思います。っていう発想がすでにだめなのかおるずってことは承知なのですが、対極として参考になりそうな……、また忘れてはいけないような、そして時事的な話題に関してはスクラップしていこうと思います。

そして、2つ目。
こちらは、『毎日新聞』を長期購読しているからです。
もちろん、茂木健一郎氏(1962−)や自由報道協会(FPAJ -Free Press Association of Japan)の指摘する通り「大新聞」と「記者クラブ」の「終わっている」ことは承知しています。
※これは過去にも言及しましたが、日本の大新聞が終わっているのは記者クラブ以前に、第二次世界大戦の反省が全くないまま「被害者だった」って再出発したところに躓きの石があるわけですが、これはひとまず措きます。

さて、戻ります。全国紙を購読する意味に関して……。
要するに、全国紙でなければ取材できない問題っていうのもあるからなんです。
そしてその全国紙でいえば……これも「どんぐりの背比べ」ですが……比較的「マシな」消去法的選択ですが、『毎日新聞』を長期購読しているのでその関係で紹介している次第です。

別に『毎日新聞』でオルグしようという意図は毛頭ありませんよ、一応。ただ、全国紙で一番最初に「署名記事」をやったことは評価しています。ただそれだけです。

それから全国紙でなければ取材できない問題っていうのは何かっていうと、要するに速報記事ではなく、積み重ね型のレポート、論説、識者へのインタビュー関係です。

そして出来るだけブログで紹介するのは、その一次資料の「写真」も掲載したいというのがあるので、『毎日』になっているという状況でしょうか。

もちろん、twitterfacebookあたりでは、電子版の他紙をガンガン紹介はしてますけどネ。速報ではなく、少し考える材料と実物の記録としてという意味多くなっているという次第です。

長くなりましたが「一応」ということでw

一応、紙媒体は、宅配ではNewYork Times(Weekly Review)を併せて購読、Christian Science MonitorとLe MondeもWeeklyでは、気になったときは洋書部で購入しています、念のため。

めんどくさい話しではありますが、一応ネ、その理由に関しては表記しておくのが誠実だと思った次第でしたので。





⇒ ココログ版 雑録:「覚え書」の紹介に関して・・・: Essais d'herméneutique


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