希望こそ太古より聳える巌のごとくあれ! 足下を掘り世界と連帯する詩心に関する一考察?
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希望
とはいえ、かようの限界、かようの堅固な壁の
いとわしい門からは閂(かんぬき)がはずれゆくのだ。
希望こそ太古より聳える巌のごとくあれ!
一個の実体が軽やかにいましめなく動き、
厚い雲、霧、驟雨のうちから、希望の手で
われらは高められ、希望に寄りそい、希望によって翼を得る。
よくわかっているだろう、希望はありとある圏域を経めぐる、
翼をひとうちすれば−−われらの背後には永劫の時!
−−ゲーテ(檜山哲彦訳)「原初の言葉 オルフェウスにならって」、生野幸吉・檜山哲彦訳『ドイツ名詩選』岩波文庫、年、57頁。
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哲学の講義で、どうして文学の話で時間を割くのか?と誰何されそうですが、やはり、人文科学の基本は、古典名著との徹底的な対峙によってどのように自分自身を形成していくのかということが重要なポイントになってきますので、毎度毎度ですが、少し時間を作って……
何故古典名著を読むべきなのか
読む上でのヒント
文学の意義と詩の力
……なんかについてお話をするようにしております。
月曜はちょうど「詩心の復権」をテーマとして取り上げた次第です。
現代世界に最も必要なものとは何かといえば、やはりその一つに「詩心」を掲げてもよいだろうと思うからです。
不思議なもので、優れた詩人の作品というものは、読む者の魂を浄めるものであり、高揚させるものです。
それは、巧まざる自然の営みへの驚嘆であれ、あるいは圧政への抵抗の叫びであれ、謳いあげられた詩人の心が、読者の心に触れて共振をおこさせるからなのでしょう。
世界的な問題群に対しては勿論直接アプローチすることは必要です。しかし同時にそうした問題を引き起こした人間そのものへも目を向けていかないとはじまりません。
詩は、まさにさまざまなカテゴリーに囚われる人間に対して、いっさいの束縛をうち破り、個々の赤裸々な人間に立ち戻ることを促します。
その意味で、優れた「詩」というものは、問題を引き起こした人間そのものへ眼を向け、欲望に振り回されやすい人間そのものを統御せしめんと促すものではないかと思います。そのことにより、人は、理想を見つめつつ、現実を力強く切り開いていく精神の力を高めることが可能になるのだと思います。
それが詩のもつ力でしょう。
さて……、
先々週は、ドストエフスキー(Fyodor Dostoyevsky,1821−1881)の『カラマーゾフの兄弟』やスピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak,1942−)の言説を中心に取り上げ“人類のために何かをしようとするのであれば……”「ダブルバインドを承知の上で強かに足下を掘る」しかない……っていう話をしました。
要するに抽象化された立場に対して如何に献身しようとしてもそれは徒手空拳におわり、現実の人間世界をややもすると分断しかねないというジレンマという話題です。
もちろん、様々な問題を「知らない」ことはスタートライン以前の話であり論外です。しかし何かを知ったとして、それに直接アプローチできなくても、その無力はなげく必要はありません。
丹念に「ちゃんと生きていくこと」ができれば人間は、外の世界へ出なくても、必ず通じていくことが可能になるからです。生きている目の前のひとと関わりながら、世界へ通底してくということです。
しかし、自分自身の実践や2−3の歴史的話題を除いて、なかなかその好事例を紹介できないなァと悩んでいたところ、優秀な知己のすばらしい実践がありましたので、「詩心」の具体的実践(+足下を掘る)ということでひとつ授業のなかで紹介した次第。
すでに共同通信の報道で紹介されておりました次のエピソードがそれです。
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洪水被害のタイに恩返し 石巻市民がビデオでエール 共同通信(2011年11月12日)
【バンコク共同】深刻な洪水被害に直面するタイ国民を励まそうと、東日本大震災で被災した宮城県石巻市の市民らが「がんばれ タイ!」とエールを送る応援ビデオがタイのテレビで放映され、話題になっている。「同じように苦しい立場の日本からの心温まる声援だ」と、タイ国民を勇気づけている。
ビデオは東京都の会社員大森貴久さん(23)と大学生佐伯大樹さん(22)らが「日本の震災時、支援してくれたタイにお返ししたい」と作成。歌手のTAEKOさんが歌う「ひまわり」の曲に乗せ、「日本はタイの友達」「ありがとう がんばれ」と日本語とタイ語で書かれたボードを手にした石巻市民らの写真と、両国の被災地の写真で構成されている。
先月末、動画投稿サイト「ユーチューブ」にビデオを投稿すると、ネット上で話題に。地元テレビでも番組の間に流されるようになった。冠水地域が広がりつつあるバンコク在住の医師パンカモンさん(23)は「日本とタイは痛みを分かち合い、さらに絆が深まった」と笑顔で話した。
http://www.kyodonews.jp/feature/thai_flood/2011/11/post-85.html
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上記のビデオクリップに関しては以下の通り。
「心の財は絶対に壊れない」/【Thailand floods】Japan for Thailand」
さて……
報道の通りなのですが、先月来、被害の深刻化を増すタイの洪水被害の話題です。
日本のメディアは日系企業の工場被害の報道ばかりで、「正直、どうなってンの?」って偏向さに驚いたのは僕一人ではないと思います。
思いおこせば、先の日本の東日本大震災に対してタイのひとびとは、17億円に近い募金を集めておくってくださった。国民1人あたりの平均所得が約15000円とも聞く。
そして半年経ってから同じく自然災害で苦しんでいる。
海に隔てられているけれどもそこには、人間が同じく住んでいる。そして同じく苦しんでいる。
偏向したメディアの問題は終わっているのでひとまず横に置きますが、この災禍対して、もちろん、現場へ赴き直接何かをすることも可能だし、義捐金を送るのも一つの手ですし、様々な方法が考えられます。
しかし、現実には、なかなか具体的な選択肢に直結することができず、「何かしたいけど」……結局何も出来なくて苦しい・辛いという無念感を味合うことがあるのも屡々。
しかし、智慧と工夫と善意があれば、そうした暗雲をうち払うもんだな……と思った次第です。
どこにいても、丁寧に生きていくことで、遠い人ともつながることはできるし、近い人をももっとも大切にもできるんです。
これも、ひとつの詩心の具体例の現れだと思います。
ベトナム反戦の烽火になった一枚の写真があります。
マグナムに所属した写真家・マルク・リブー(Marc Riboud,1923−)の手によるものです。
反戦平和行進で国防総省護衛兵の銃剣に立ち向かうひとりの女性が、銃剣を突きつける兵士に対して一輪の花を差し出す。
プラカードも、おどろおどろしい装飾でシュプレヒコールをあげるわけでもありません。無作のままの善意……その姿が、世界を震撼させることになったのは有名な話です。
人間を無力なものとして斥け、圧倒的なものとして立ちふさがる何がしかに対して、さまざまな抵抗をしていく人間の本源的な力、そして人間を人間自身に立ち返らせることのできる言葉と想像力の力。
今の世界にもっとも必要なものは何でしょうか。
繰り返しになりますが、それは「詩心」の復権かもしれません。
「希望こそ太古より聳える巌のごとくあれ!」
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私には家があります。本拠地となる家はたくさんあります。たくさんの家を本拠地にすることは、想像力が育つ一つの方法だと思います。ちょうと〔ママ〕マケドニアに行って来たところなのですが、マケドニアにいたとき−−マケドニア共和国、ですよね−−私が書いたものをわざわざ翻訳してくれているなんて、光栄で信じられませんでした。彼らが私をどう理解しているかはわかりませんが、信じられませんでした。そこでは家にいるように心からくつろげたのですが、それはなぜか。それは、ギリシャ人も、ブルガリア人も、セルビア人も認めようとしないがゆえに、マケドニア共和国にはマケドニア語があるのだ−−こう語る方法を、ガヤトリ・スピヴァクが示してくれたという感覚があったためです。彼らの言語はわからないながら、私はなぜか感じたのです。私と彼らの関係にはある種の交換があって、その交換は、家にいるという比喩を使ってのみ私には理解可能であると。マケドニアを去るのは心残りでした。ですから、想像力が文学を読む者になにかをなすとすれば、それは、その人の想像力を鍛え、他の人々の世界に入らせるのだと思います。本とはそういうもの、詩とはそういうもの、過去とはそういうものです。そしてその観点からすると、家という概念は無限に拡大が可能です。
−−ガヤトリ・スピヴァク(大池真知子訳)「家」、『スピヴァク みずからを語る 家・サバルタン・知識人』岩波書店、2008年、25−26頁。
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⇒ ココログ版 希望こそ太古より聳える巌のごとくあれ! 足下を掘り世界と連帯する詩心に関する一考察?: Essais d'herméneutique
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