人生の息づかい、人生の魂と丁寧に向き合うこと




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 人生の改造ですって! そんなことを平気で論議できるのはですね、なるほど経験だけはいろいろと積んできたかもしれないが、一度として人生のなんたるかを知ったことのない連中、人生の息づかい、人生の魂を感じたことのない連中だけですよ。そういう連中は、存在というものを、まだ自分たちが手をかけてよりよきものに仕上げていない原材料のかたまり、これから加工すべき素材のように考えているんです。ところが人生というものはですね、それ自体がたえずみずからの手で自分を改造し、改変していく、それは、ぼくらの愚鈍な理論などをはるかに超越したものなんです。
    −−パステルナーク(江川卓訳)『ドクトル・ジバゴ(上)』新潮文庫、1989年。

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人間の歩みとはひとつの積み重ねなのかも知れません。
その具体的形象としての「文化」ひとつをとって見た場合でも、これは同じだと思う。

新しい文化が古い文化の上に積み重なっていく。そのため一見すると、古い文化が駆逐されたかのように見えることがしばしばある。しかし、その深層には古い文化が厳然として生きており、人間の思考や行動に影響を与えていることは否定できない。

新しい文化は時の推移とともに精選、淘汰され、古い文化の蓄積、すなわち伝統の中に、しかるべき位置を与えられて付加されていく……。

それは今日、ひとつの法律が廃棄され、明日から新しい法律が施行されるというようなものとは全く違う現象であり、今日から明日へ−−古い文化が全面否定されて、新しい文化にとってかわるというわけではない。

もし、強引にそれをやろうとすれば、残るのはアナーキーな混乱だけでしょう。

考え方や発想を転換することは人間が生きていく上では不可欠です。しかしそれは単なる「取り替え」ではないということ、この人間の重層的な営みを熟知したうえで、ひとつひとつの賢明な選択・展開・発展というものが必要になってくる。

ボルシェビニズムの急進的な暴風を勇気ある筆致で描いたパステルナーク(Boris Leonidovich Pasternak, 1890−1960)の『ドクトル・ジバゴ』は、「取り替え」によって全てが「解決する」という単純な発想のもつ暴力性をそっと教えてくれるように思われます。

さて……、
土日は、勤務校の通信教育部の地方スクーリングにて43名の学生のみなさんと「倫理学」について深く考えることができたように思います。

 日本を代表する倫理学者・和辻哲郎(1889−1960)は主著『倫理学』(岩波書店)のなかで孟子(Mencius,372 – 289 BCE or 385 – 303/302 BCE)の言葉を引用しながら次のような言葉を残しております。

「倫理そのものは倫理学書の中にではなくして人間の存在自身の内にある。倫理学はかかる倫理を自覚する努力に他ならない。道は邇(ちか)きに在りとは誠に至言である」。

参加された一人一人のみなさま、つたない講義を熱心に聞いてくださりありがとうございました。レポートの提出もお待ちしております。

一人一人の生活の現場で、負けない歩みを続けて欲しいと思います。

そして人間の生というものが重層的であることを踏まえ、「シカタガナイ」とあきらめることなく、ひとつひとつと丁寧に向き合いながら、漸進主義的アプローチの挑戦を共に開始したいと思うものです。

ともあれ……

ありがとうございました!!!





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