覚え書:公共哲学としての吉野作造


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 吉野は、キリスト教牧師海老名弾正(一八五六−一九三七)の影響のもと、ヘーゲルの方哲学や歴史哲学の研究から出発しました。その際吉野を惹きつけたのは、自由の弁証法的発展というヘーゲル歴史観や制度論であり、彼はそれに立脚するかたちで、日露戦争をロシアのツァーリズムの「専制」に対する「自由」の勝利とみなしました。
 「自由の具現化としての立憲政治」の到来を歴史の必然性としてとらえるヘーゲル的観点が、一九一六年に吉野がとなえたいわゆる民本主義の根底にあったことは、吉野の公共哲学の特質として注目されなければなりません。民本主義とは、主権者が誰なのかという問題に触れることなく、「政策決定を民の意向にもとづかせる」という思想です。
 吉野は、ルソー型の人民主権を非現実的とみなし、政策決定は民の意向に沿ったかたちで有能なプロの政策立案者が行い、それを選挙によって民がチェックするという意味で、民本主義をとなえたといってよいでしょう。「民の公共」にもとづきながらも、複雑な政策の立案は一般民衆ではなく「政府や官」が行うという彼の考え方にも、へーゲリアン的デモクラシーの公共哲学がうかがえます。
 自らのヨーロッパと中国での体験をもとに、吉野はこのような民本主義こそ、第一次大戦後の各国で実現される「世界の大勢」とみなしました。明治初期の自由民権運動が時期尚早であったのに対し、現代はまさに民本主義が時代の要請になっており、しかもそうした要請は、欧米諸国だけではなく、中国にもあてはまると彼は考えたのです。
 中国政治史にも精通していた吉野は、中国革命が民本主義の方向に進むかぎりにおいて、たとえそれが抗日ナショナリズムというかたちをとったとしても、支持しうるという考えを打ち出しました。また一九一〇年以降、日本の支配下におかれた朝鮮の統治に関しては、その撤退をとなえたわけではないにせよ、日本への同化政策ではなく、朝鮮独自の民族性や文化を尊重すべきことを訴えました。朝鮮政策は朝鮮人の心をつかむような統治を行うことによってのみ正統性を得るけれども、そのような統治を行うのに日本政府は失敗していると批判したのです。
 だが、その後の日本の満州における膨張政策や朝鮮での野蛮な政策は、吉野の穏健な民本主義の理想やへーゲリアン的な歴史のオプティミズムを裏切る結果となりました。しかし、たとえそのへーゲリアン的側面に共鳴できなくとも、吉野の歴史的展望をもった公共哲学は、哲学なき政治学が一人歩きしがちな今日、あらためて再評価されるべきでしょう。
    −−山脇直司『公共哲学とは何か』ちくま新書、2004年、101−102頁。

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