覚え書:「時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。


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時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子

 ◇欠けていた俯瞰と総合
 新聞が好きだ。毎日、朝日、日経の3紙をざっと読み、大事だと思われる記事を切り抜き、3カ月に1回の割合で読み直す。3カ月前には「点」であった記事が、時間による熟成によって情報として適度になめされ、線となり、面となる経過を味わえる。
 例を一つ挙げておこう。昨年9月29日付「朝日新聞」朝刊で、酒井啓子氏が「あすを探る」という欄に「専門知を結ぶシステムを」と題して寄稿していた。中東研究者として酒井氏は、テロや「アラブの春」をなぜ予想しえなかったのか、と批判されることがよくあったという。
 日本の中東研究は、専門的にみて高いレベルにあるのは間違いない。だが、明快な解説で知られる酒井氏が、弁明に終始するはずはなく、コラムはこう締めくくられる。これまで社会科学は、個々の専門家の知識を俯瞰(ふかん)して総合的判断を示すシステムや場を用意してこなかった。だが「研究者が個々の専門知の多様性を活(い)かしながら、同じ問題意識を共有して、戦争や災害など生活を根幹から壊す事件」に対処しうる「知」を、システムとして持っておく必要があるのではないか、と。
 重要なポイントは、俯瞰と総合という点にある。3カ月ほど前の記事を読み返した私の頭には、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の中間報告が浮かんでいる。昨年12月26日に発表され、末尾には「これまでの原子力災害対策において、全体像を俯瞰する視点が希薄」であったと書かれていた。
 この委員会は、失敗知識データベースを整備公開したことで知られる畑村洋太郎氏を委員長として、昨年5月政府内に設置された。委員会は456人の当事者から聴取し、第三者の立場から今一度、甚大な事故に至るまでの経緯につき客観的な脈絡を立てて実証する手法をとった。その成果が、500ページ超の本文と200ページ超の資料からなる中間報告となった。
 ネット上で公開されている本文全体と資料編(国家の安全にかかわる情報は一部白紙となっている)は、緊迫した瞬間をよく再現し、全体として達意の文章で書かれ、これまでの政府や東電の過度の隠蔽(いんぺい)体質からすれば、情報の開示度は高いといえる。1月末日まで、国民からの意見募集も行っているというので、一読をお勧めする。
 私も読んでみた。委員会は、(1)100年後の評価に堪える(2)国民や世界の人々の持つ疑問に答える(3)起こった事象と背景を正確に記録する(4)当事者がいかに考え、いかに動いたかを知識化する−−ことを目指したようだ。そのため、責任追及より原因究明が優先されている。
 責任を追及しないでどうするとの批判もあろうが、事故の具体像と背景が完全に把握できれば、責任はいつでも追及できるはずだ。事実、報告書を読んでいけば、責任の所在は明確にされている。
 いわく、(1)情報収集と意思決定の両面で四分五裂していた政府中枢(2)原子力災害対策マニュアルで、情報入手の中枢とされていた経済産業省緊急時対応センターが全く機能しなかったこと(3)甚大な事故を想定したマニュアルに、地震津波など外的事象による問題発生について一切載せていなかった東電の教育体制(4)対策を電力事業者の自主保安にまかせず、法令要求事項とすべきであったのにしなかった政府。責任の所在は明らかだ。
 報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。
 具体的には、第4章「東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」に問題点が析出されている。委員会が重くみたのは、1号機を冷却する非常用復水器(IC)につき、全電源が喪失した場合、自動的に隔離弁が閉じるよう設計されていた簡単な事実に、当直と呼ばれる11人からなる運転員の誰一人として気づかなかった点だ。人類が最終的に制御に成功してはいない力に日々接してきた専門家集団としては、恥ずべき知的退廃ではなかったか。当直のうちICを実際に作動させた経験者もいなかった。
 資料編も見ていただきたい。6章−13「アクシデントマネジメントに関する教育等の方法及び頻度」という東電の内部資料。本資料からは、運転員を対象とした事故時の対応につきいかなる教育研修がなされていたか分かる。頻度は年1回、方法は自習と運転責任者による講義だけなのだ。
 あれほど、法的規制好きな霞が関が何故、自習と講義程度の研修でパスさせたのか。本紙の昨年9月25日付朝刊が明らかにした、東電への天下り50人以上、との事実がその背景だとすれば、あまりの分かりやすさに慄然となる。
    −−「時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20120115ddm002070083000c.html


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