一人でもいい、他人を幸福にしえない人間が、自分を幸福にしうるはずがない


        • -

 自分や人間を超える、より大いなるものを信じればこそ、どんな「不幸」のうちにあっても、なお幸福でありうるでしょうし、また「不幸」の原因と戦う力も出てくるでしょう。もし、その信仰なくして、戦うとすれば、どうしても勝たなければならなくなる。勝つためには手段も選ばぬということになる。しかし、私たちは、その戦いにおいて、始終、一種のうしろめたさを感じていなければならないのです。なぜなら、その戦いには、結局は自分ひとりの快楽のためだからです。あるいは、最後には、勝利のあかつきに、自分ひとりが孤立する戦いだからです。そういう戦いは、その過程においても、勝利の時においても、静かな幸福とはなんのかかわりもありません。
 まずなによりも信ずるという美徳を回復することが急務です。親子、兄弟、夫婦、友人、そしてさらにそれらを超えるなにものかとの間に。そのなにものかを私に規定せよといっても、それは無理です。私の知っていることは、そんなものがこの世にあるものかという人たちでさえ、人間である以上は、誰でも、無意識の底では、その訳のわからぬなにものかを欲しているということです。私たちの五感が意識しうる快楽よりも、もっと強く、それを欲しているのです。その欲望こそ、私たちの幸福の根源といえましょう。その欲望がなくなったら、生きるに値するものはなにもなくなるでしょう。

 一人でもいい、他人を幸福にしえない人間が、自分を幸福にしうるはずがない。

    −−福田恆存『私の幸福論』ちくま文庫、1998年、221−223頁。

        • -


昨夕は、尊敬するS先生とご一献。

引っ越しやら新年度の準備で忙しい情況にもかかわらず、わざわざ時間を作ってくださり、種々、お話を聞いていただくことができました。

世の中って不合理で不条理で、時として、仲間と思っていた人間に後ろから撃たれたり、そのまた逆に敵だと思っていた人間に思わず助けられたりすることがあることを、頭では理解しているつもりでも、なかなか心と体が理解しないときってあるのは分かっているのですけど、

だからといって「降参を決め込む」こともできないし、

だからといって「勇敢に戦う」こともできないし、

だからといって「世の中」から「降りる」こともできないのが現実のところですよね。

だとすれば、僕は僕の唄を謳いながら、進んでいくしかない……って話しになるんですが、

ホント、お忙しいなか、わざわざ時間を作ってくださりありがとうごさいました!








私の幸福論 (ちくま文庫)
福田 恒存
筑摩書房
売り上げランキング: 32099