覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『日本人はどんな大地震を経験してきたのか−地震考古学入門』=寒川旭・著」、『毎日新聞』2012年2月19日(日)付。


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今週の本棚:海部宣男・評 『日本人はどんな大地震を経験してきたのか−地震考古学入門』=寒川旭・著

 (平凡社新書・840円)

 ◇過去を読み解く、「予知」を見なおす
 M7級の首都直下地震が起きる確率は四年以内に七〇%という研究結果が、なぜか大新聞の一面で報道された。騒ぎになったがこの数字が不確かでもあり、研究者はもみくちゃ、科学への信頼にも疑問符、という事態に……。警鐘の役には立ったという好意的?見解もあるが。

 科学と社会とのコミュニケーションには、大事な要素が三つある。(1)科学者の明確で責任ある発信、(2)それを伝えるメディアの正確さと伝達力、(3)受け取る人々の科学の理解力、である。はしなくもここで示されたように、日本では三つともかなり低い。三者とも学んで鍛錬せねば。

 さて、日本は「地震予知」を国策にして莫大(ばくだい)な金と人を動かしてきた。「予知」とは、いつ何が起きるかを「予(あらかじ)め知る」ことだ。だが地震は破壊現象だから「予知」はできないと、科学者ならまず考える。ガラス板に力を加えて曲げていった時どの瞬間でどう割れるかは、割れるまでわからない。まして非常に長い時間で動く大地の破壊が相手だ。プレートの動きでいつかは起きるにしても、「いつ、どのように」を理論的に知ることは極めて困難。この点、確率や幅を持たせて推測する「予測」とは違う。冒頭の研究結果も、予知ではなく予測である。

 そのように予測すら難しい大地震だが、過去から学び、頻度のおおざっぱな時間スケールなどを掘り起こすことはできる。本書の著者は、地中の痕跡から大地震の歴史を読み解く「地震考古学」を推進してきた研究者である。特に、大地震の際の液状化現象が地層に顕著な痕跡を残すことに注目。各地の遺跡発掘や開発工事の際に地中の記録を読み、歴史文書に残る大地震との照合を進めてきた。過去の著作の中から三・一一を念頭に集成したのが本書で、「地震考古学」の現状を知るのによい。日本人が、いかに絶え間なく大地震津波の被害を受け続けてきたか。めげない復興の営みとともに、うたれる思いがする。大地震をプレートによる「海溝型」と陸地中心の「活断層型」に分けた記述も、見通しがよい。そして日本全国、地震のない所はない!

 大津波の痕跡の調査には、長期にわたり地層が堆積(たいせき)する池や湖が有力だ。雑誌『科学』(岩波書店)の今年二月号は津波堆積物研究の特集なので、関心のある方はぜひ。

 先に述べた「地震予知」の問題について見落とせない本が、『日本人は知らない「地震予知」の正体』(ロバート・ゲラー著、双葉社・1260円)。昨年八月刊だ。タイトルがゲテモノ風とはいえ、刊行時に見落としたのは迂闊(うかつ)だった。

 著者は米国出身の地球物理学者で東大教授。かねて日本の地震「予知」研究を鋭く批判してきたことでも知られる。三・一一を受けてまとめたこの本には、日本の地震行政の驚くべき実態がてんこ盛りである。「予知はできないと知っているのに」政府の予知政策の金に群がる「地震予知」研究者たち。東大地震研究所のある所長の研究費獲得法を語る「正直発言」には、度肝を抜かれるでしょう。

 「地震予知研究」は名を変えながら大規模化し地震学者を潤してきたが、「予知」のかけらも生まず、鳴り物入りで警告した東海地震ではなくて、警戒されなかった阪神・淡路大震災東日本大震災が続発した。それでも存続している裏には、原発ほどではないがよく似た、学・官・政の「地震予知ムラ」があるという。

 著者は地震研究の意義は認めつつ、国策としての「予知」研究の廃止、震災対策強化を求める。正面から反論できる地震学者はいるだろうか。
    −−「今週の本棚:海部宣男・評 『日本人はどんな大地震を経験してきたのか−地震考古学入門』=寒川旭・著」、『毎日新聞』2012年2月19日(日)付。

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