覚え書:「今週の本棚:五百旗頭真・評 『レーガン−いかにして「アメリカの偶像」となったか』=村田晃嗣・著」、『毎日新聞』2012年2月19日(日)付。

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今週の本棚:五百旗頭真・評 『レーガン−いかにして「アメリカの偶像」となったか』=村田晃嗣・著


 ◇五百旗頭(いおきべ)真・評
 (中公新書・924円)

 ◇保守の「大きい物語」を生きた大統領
 誰もが知る自明の人、元ハリウッドの俳優、ただし一流ではなく、B級の映画俳優、その親しみやすさと、やたら明るい笑顔で人気を博し、カリフォルニア州知事はおろか、大統領のポストまで手にした男。

 そんな風に、いささかの軽蔑を交えてレーガンという政治家を見てはいないだろうか。無理もない。同時代にもそのように見下す者は少なくなかった。そして過小評価したライバルは、ことごとくレーガンに敗れた。

 まだ評価を下すのは早いかもしれないが、リンカーンルーズベルトとともに米国史上最も偉大な大統領にレーガンは位置づけられようとしている。近年のブッシュ大統領オバマ大統領も、党派を超えてレーガンを尊敬しているという。

 一体、レーガンとは何者なのか、新書版ながら、はじめて本格的なレーガン評伝が日本で書かれたことを喜びたい。

 何者かを知るためには、やはり育ちから見るのがよい。19世紀半ばのジャガイモ病により、アイルランドは、人口が3分の1に激減する飢餓に陥ったが、レーガンの祖父もその時にアメリカへ逃れた。父は美貌と話術の持ち主であり、レーガンはそのDNAに恵まれたが、父はアル中で身を持ち崩し、一家は中西部を流浪せねばならなかった。救いは母が敬虔(けいけん)なクリスチャンで、子供たちに物事の明るい側面を見て夢を実現する生き方を教えた。母は父を嫌ってはならないと子供たちに告げた。

 貧乏学生のレーガン水難救助員のアルバイトを始めたが、77名も救助する記録をつくった。人々を救う使命感と衝動が芽生えていたようである。読書も好きで、記憶力は抜群であった。苦境をユーモアで切り返す術もアナウンサー修業をする中で身につけたようである。

 レーガンが職探しを始めた頃、アメリカ社会は大恐慌の最中だった。絶望の中での希望は、炉辺談話と呼ばれたラジオ放送で国民に明るく語りかけるルーズベルト大統領であった。ニューディールレーガンのような貧しい若者にとって希望であり正義であった。レーガン民主党支持者として出発した。

 大戦後も60年代までニューディール連合の政治が続いた。しかしレーガンがようやく高収入を得るようになると、90%が税金に持っていかれた。異常な高負担と大きい政府に米国は蝕(むしば)まれているのではないか。「減税」と「小さい政府」論にレーガンは目覚める。さらにハリウッドの組合長を務める中で、共産党系の運動の陰惨さを知り、レーガンは反共の立場を鮮明にする。彼は、ルーズベルトと同じく明るい雄弁をもって、保守的価値を語る共和党政治家として現れた。民主党の「偉大なる社会」がベトナム戦争によって破綻した後、70年代の米国社会は保守化が底流となった。80年大統領選挙でレーガンはカーターに圧勝するが、その際、大量の元民主党支持者がレーガンに投票した。就任演説において「アメリカの最高の時は未来にある」と語るレーガン大統領は多くの人々を自らの「大きな物語」に引きつけた。ソ連を「悪の帝国」と言い放ち、SDI(戦略防衛構想)を含む軍拡をしかけたレーガンは、しかし核戦争のハルマゲドンを恐れており、ゴルバチョフという相方にも恵まれて、米ソ軍縮と冷戦終結への道を拓(ひら)いた。本書は、かつて俳優として演じた役柄がレーガン政治の下敷きとなったとの観点から繰り返し映画に言及しており、楽しみながら読める。人生に数限りなくある厄介な些事(さじ)をかわし「大きな物語」に生きる点で、映画と政治はレーガンにとり共通していたのであろうか。
    −−「今週の本棚:五百旗頭真・評 『レーガン−いかにして「アメリカの偶像」となったか』=村田晃嗣・著」、『毎日新聞』2012年2月19日(日)付。

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