覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『チョムスキー言語基礎論集』=チョムスキー著、福井直樹・編訳」、『毎日新聞』2012年04月22日(日)付。


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今週の本棚:三浦雅士・評 『チョムスキー言語基礎論集』=チョムスキー著、福井直樹・編訳
 (岩波書店・6825円)

 ◇「本能としての言語」論が持ち得た包容力
 人間の幼児はなぜ短期間のうちに猛烈な速さで言語を習い覚えてしまうのか。また、その言語が、たとえば日本語、英語、中国語というように、これほどにも多様な現われ方をするのはなぜか。言語をめぐるこの二つの基本的な問いに、「生成文法」という考え方で応じたのがノーム・チョムスキーである。一九五〇年代のことだから、半世紀以上の昔になる。専門家の顰蹙(ひんしゅく)を買うのを承知であえて簡略に言えば、幼児が短期間に言語を習得するのは人間にだけ言語の本能とでもいうべきものが備わっているからである、と、チョムスキーは考えた。また、それが多様な現われ方をするのは、言語の本能とはすなわち普遍文法であって、人間にのみ埋め込まれたこの能力が、短期間のうちに各国語の様式に染まってゆく、すなわち変形生成してゆくからだと考えた。
 説得力があるが、批判は少なくなかった。チョムスキーの名が一般に知られるのは一九六六年の著書『デカルト言語学』の刊行以後だが、挑発的な表題がその姿勢をよく示している。当時もいまもデカルトは評判が悪い。心身二元論で、おまけに身体機械論である。チョムスキーはそのデカルトを援用して、言語もまた自然科学の対象である、すなわち機械と見なしていいと言うのだ。いわば反動である。言語こそ思想の要と思っていた知識人は冷水を浴びせられた思いだったろう。言語は本能で科学の対象だというのでは思想や文化の運命は決定されたも同然に思える。ところがこのチョムスキー、六〇年代当時からベトナム戦争に反対するなど、反体制知識人として派手な活動を展開した。反動的な言語理論と革新的な政治活動がどう結びつくのか、大方は狐に抓(つま)まれたように思っただろう。じつはチョムスキーは根っからのアナーキストで、むしろその思想の必然的展開が、言語能力は人間に普遍的であるとする生成文法であったと考えたほうがいいのだ。
 現代科学の展開はしかしチョムスキーに有利に作用した。まず分子生物学がDNAの構造を解明して遺伝の仕組みを明らかにした。ここからさらに、初期条件のわずかな違いが驚くほどの多様性を生み出すといういわゆる複雑系なる考え方も登場した。本能としての言語、その現われ方の多様性を側面から証明したようなものだ。そのうえ、遺伝学と考古学の発達が、現生人類はわずか十四万年前の東アフリカに誕生し、五万年前に現在のような言語を一挙に獲得し、その後に全世界に適応拡散したという事実を明るみに出した。これもまたチョムスキーの理論を補強したようなものだ。
 本書はそのチョムスキーの半世紀以上におよぶ理論展開を浮き彫りにすべく、一九六五年から二〇〇七年までに書かれた重要論文六篇を、福井直樹が編集し、チョムスキー自身、福井の意図を汲(く)んで長文の序を書き下ろした(二〇一〇年執筆、原文併録)著作集である。このまま各国語版が刊行される可能性もあるが、現在のところ日本でのみ刊行されているのだからまさに貴重だ。編集の意図は冒頭の「解題」に記されているが、チョムスキーの思想の一貫性、また自然科学の展開に対する柔軟な対応などが手に取るように分かる。とりわけ興味深いのは二〇〇七年に発表された論文「生物言語学の探究」であって、現代生物学の知見(とりわけ進化発生生物学革命、いわゆるエボ・デボ革命)とチョムスキーの言語論がどのように切り結ぶか、自身、俯瞰(ふかん)している。
    −−「今週の本棚:三浦雅士・評 『チョムスキー言語基礎論集』=チョムスキー著、福井直樹・編訳」、『毎日新聞』2012年04月22日(日)付。

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