「私の存在する権利に関わる問いとは、すでに他者の死に対する私の有責性のこと」。親父が死んで13年目に考えたこと

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 私の存在する権利に関わる問いとは、すでに他者の死に対する私の有責性のことであり、その問いは私の無反省的な存在固執の自然発生性を不意に断ち切るのである。存在する権利とこの権利の正当性は、最終的には、法という普遍的規範という抽象概念を権原とするのではない。そうではなくて、最終審級においては、この法そのものが、そしてまた審判=正義(justice)そのものが、他者の顔の直裁性そのものが直面している死に対して私が「無関心ではいられないこと」という「他なるもののための=他なるものの身代わりとして」を権原としているのである。他者が私を見ていようがいまいが、彼は「私に関係している=私をみつめている」。私には存在する権利があるのかという問いは、私としての私を構成する「他なるもののために=他なるものの身代わりとして」と同じだけ古い。この問いは反−自然的であり、自然の自明性に反対する問いである。
    −−レヴィナス内田樹訳)「意味についての覚え書き」、『観念に到来する神について』国文社、1997年、313頁。

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親父が亡くなってから今週で13年になる。
生前というか、晩年の10年は、はっきりいって、親父とは仲が悪かった。
理由は横に置きますが、青年特有の親との確執だけではない。
なかなか向き合えることができなかった。

13年前の正月に手術で入院する親父を病院で見送った。
その背中はあきらかに小さくなっていた。不意に涙がでそうになった。

しかしぶっきらぼうに「じゃあ、東京に戻るから、あまり無理すんなよ」ぐらいの言葉しかかけることができなかった。

3月に「やばいかも」ということで帰省してもう一度再会した。
かなり持ち直したようで、ダメだといわれていた煙草をすこーしだけ吸っていた。そのペットボトルを自分が処理したように思う。

そして4月になってから、「たぶん、もたないだろう」ということで、急いで戻った。親父と病室で対面したとき、意識はあったのだろうか・なかったのだろうか記憶は定かではない。

しかし死ぬ直前に親父と対面することはできた。
言葉を交わす暇はなかった。

それから大きな葬式を出した。
泣いたのは、本葬のとき1度だけだ。

その年は桜が遅かったように思う。
葬儀の際、遅い八重桜が最後の花びらを咲かせていた。

以来、親父の夢をときどき見る。正確には子供を授かってからだ。
年に数回見るだろうか。

設定はだいたい同じパターンだ。

東京から実家へ戻ると、親父がTVを見ながら、煙草をすっているという生前いつも見かけた光景だ。

しかし、夢の中では生前ではなく、親父の死後ということになっている。のんびりすごしているやや元気な親父に、

「え、こないだ死んだんじゃなかったッけ?」

「いや、死んでなかったみたいだ」

「ふ〜ん」

小津安二郎の映画のような、要領を得ない会話が続く。
死んだはずなのに、「死んでなかったみたい」という本人と、ときおり言葉を交わしながら、テレビを見ている。

ただ、それだけだ。

感傷的な悲しみや哀愁はまったくない。さっぱりしたものだと思うし、私自身が薄情者というところに由来するは承知だが、それでも、死んだはずの親父と対話を継続していることだけは確かだ。

最後の10年ちかく、ほとんど「言葉」を交わさなかったかわりになのだろうか。

別にスピリチュアルでも精神世界でも全くない。

あと10数年すれば親父の死んだ年に自分もなってしまう。あと何回、夢のなかでぶっきらぼうに言葉を交わすのだろうか。

夢から覚めると何を語ったかは覚えていない。そしてそれでいいと思う。

過去へのセンチメンタルなノスタルジアでは決してない。親父との対話は、自分自身が未来へ何かを紡ぎ出そうとしているからなんだと思う。

今年はすこしやさしいことばをかけてみたい。

以上。







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