書評:アマルティア・セン(大門毅・東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力−−運命は幻想である』勁草書房、2011年。




「人間のアイデンティティを『単眼的』に矮小化することは甚大な影響を及ぼす」

アマルティア・セン(大門毅・東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力−−運命は幻想である』勁草書房、2011年。


 アマルティア・センの関心は一人ひとりの個人にある。それが氏の人間の「生存」と「生活」を重視する「人間の安全保障論」の根柢にある。故郷インドで経験した飢餓の経験や、ムスリムだというだけで目の前で殺されたカデル・ミアとの出会いがその出発点なのだろう。多発する紛争の多くや残虐行為は、選択の余地のない唯一のアイデンティティという「幻想」を通じて発動・拡散・継続させられている。
 本書は憎悪をかきたてる「アイデンティティ」をキーワードに、テロと暴力の連鎖にどう向き合ったらいいのか、ひとつの処方箋を示した渾身の一冊だ。
 アイデンティティとは、自分を自分と認識する際の拠所のこと。ふだん私たちは様々なアイデンティティに織りなされ一人の私を形成している。性別や年齢、職業や居住地、そして所属する国籍や文化など単一の事象に還元されて生きているわけではない。時と場所、そして優先順位によってその強弱を選択することで、生活を柔軟で潤い豊かなものにしているのが日常生活だ。
 アイデンティティ意識は人間と人間を接続させる連帯感を形成するという意味ではプラスの側面を持っている。しかしそれはとりもなおさず他者への排除としても機能する。人とつながる感覚は容易に仲間と敵の分断へと転変するからだ。本来人間は複数のアイデンティティを選択している。にもかかわらずそれが一元的な単純化へ傾くとき、それは世界と個人を分断する。センはこの「単一帰属」という「幻想」に断固として反対するのだ。
 現代の世界における紛争のおもな原因は、人間は宗教や文化、所属する民族にもとづいてのみ分類できると仮定することにある。本書でセンは自らのアイデンティティをめぐる自己との対話ともいうべき腑分けをしながら、狭隘な単一帰属幻想を打ち壊そうと試みる。そしてその叙述が心をうつ。そもそも全てのアイデンティティなど「幻想」にすぎないとポスト・モダンを気取るわけでもなく、グローバル化の必然に無力な沈黙を決め込むわけでもない。人間の矮小化に抵抗するセンの力強さはその現実主義にあるだろう。単純化を回避するためには常に複数性への選択へと眼差しを向けなければならない。
 アイデンティティに起因する暴力の連鎖は、現代日本においてはどこか無縁な対岸の火事のような感覚が広く浸透している。しかし一皮剥けば、決して他人事でない。本書を読むことで自身を点検するひとつのきっかけになればと思う。


「人間のアイデンティティを『単眼的』に矮小化することは甚大な影響を及ぼす。人びとを柔軟性のない一意的なカテゴリーに分類する目的のために引き合いにだされる幻想は、集団間の抗争をあおるためにも悪用されうる」(アマルティア・セン)。






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