奴隷の学問をのり越えて:「新しい思想」という看板で勝負する限り、次に「新しい思想」が流入してくると、その新鮮さが失われていく





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 筆者は、吉野作造の「民本主義論」を高く評価するものである。その内には、「明治デモクラシー」のすべてが吸収されているからである。二大政党制、普通選挙社会民主主義だけでなく、悪名高い「主権在君」の容認についてすら、「明治デモクラシー」の「主権問題棚上げ論」の系譜を引いているのである。ただ、吉野がこの四つの主張を、自国の近過去からの継承としてではなく、三年間の欧米留学の成果として提唱したことだけが、惜しまれる。自国の民主主義的伝統を継承発展するものとして自分の思想を訴えていかなければ、次の新思想に簡単に足をすくわれてしまうのである。
 戦後日本の民主主義の、六〇年経った今日、大きな試練に直面している。そしてこの試練の中でも最大なものは、今日の民主主義が、戦前の伝統は全く無関係に、敗戦と同時に始まってきたと説いてきた。戦後啓蒙思想の行詰りにあるように思われる。「明治デモクラシー」があって初めて「大正デモクラシー」があり、その「大正デモクラシー」は昭和戦前期にも形を変えて発展しており、それらすべての上に立って、戦後民主主義が花開いたのである。
    −−坂野潤治『明治デモクラシー』岩波新書、2005年、219頁。

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坂野先生の近著(『日本近代史』ちくま新書)が話題になっているので、7年前に刊行された『明治デモクラシー』を再読。
筆者は常に、明治や大正、昭和といった「区分」がそれぞれ独立に展開した事象と捉えず、相互に連関があったことを丹念に追求しておりますが、この本の最終章では、明治デモクラシーから大正デモクラシーへ、そして大正デモクラシーから戦後の民主主義への、それは薄い糸かもしれませんが、その関係性を紹介しております。

それは、まさに吉野作造(1878−1933)を中心とする大正デモクラシーの限界の指摘といえますが、この吉野に代表される問題は、吉野作造一人や大正デモクラシーに関わった知識人だけの問題ではないかも知れません。
※ちなみにですが、民本主義は確かに「新しい思想」だったがゆえに限界だったわけですが、それだけで吉野の値打ちが下がるわけではありませんので、念のため。それはアナタが吉野作造研究に従事しているからだろうと言われてしまうと、それまでですが(涙

それは何かといえば「新しい思想」という看板で勝負する限り、次に「新しい思想」が流入してくると、その新鮮さが失われていくという図式のことです。そしてこれは日本の文壇やアカデミズムの支配的体質になっているということです。


稀代の仏教学者・中村元(1912−1999)博士は、日本の学問は、流行の輸入とその解説にあけくれた「奴隷の学問」と喝破したことがあります。この問題はアカデミズムだけでなく、社会実践においても同じなのだろうと思います。
中村元「奴隷の学問をのり越えて」、『比較思想研究』第15号、比較思想学会、1988年。


民本主義から社会主義社会主義から共産主義へ、つぎつぎと何かが入れ替わってくる。「それは古い」という形でです。そして結局は何も残らないという寸法。

しかし、吉野作造の歩みを振り返ると、民本主義論は幾たびも修正され、最後には「人道主義無政府主義者」の自覚にまで踏み込みますし、亡くなる直前まで、舌鋒鋭く政府の問題性を指摘し続けました。

過激さを増す急進主義的な思想は、地に足のつかない「理想事」を連呼するのみ。
弾圧によって地下に潜行してからは、影響も空中分解してしまう。

確かに吉野作造は「民本主義」の理念を「留学の成果として提唱」して「超克」されてしまう。しかし、最後まで「民福増進」で何ができるかという実践に奔走したという足跡は大切にしたいと思います。

最後に余談ですが、昨今、政治がまさに機能不全に陥っていることは承知です。しかし、政府や政治家を床屋談義風に「批判」すれば、「それでよし」とする風潮は益々強くなるばかり。

たしかに罵りたくなるような現実は否定できません。しかし罵るだけでは何も解決できないことを自覚したうえで、スライドさせていくような執拗な挑戦だけは、吉野作造のように続けていきたいと思います。









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