宇野常寛『ゼロ年代の想像力』ハヤカワ文庫、2011年。




サブ・カルチャーに投影された想像力を検証し、その新たな可能性を展望する一冊。

宇野常寛ゼロ年代の想像力』ハヤカワ文庫、2011年。

1990年代後半のインパクトは何だろうか。様々考えられるが、「がんばれば、意味が見つかる」世の中から、「がんばっても、意味がみつからない」世の中に移行したことだけは否定しがたい。起点となる1995年を振り返ってみても、年頭から阪神・淡路大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件、そしてバブル経済崩壊による平成不況の長期が始まる年である。

著者は、アニメ、マンガ、映画、テレビドラマ、ケータイ小説など、膨大な数のサブカル作品が俎上にのせ、作品に投影された物語の想像力を丹念に検証し、90年代後半と00年代(21世紀)の差違と可能性を展望するサブカル評論集だ。

90年代を代表するのはアニメ『新世紀 エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジであろう。闘う意味を見いだせないシンジは、「引きこもり」の代表である。がんばる「意味」がわからないから、引きこもる。著者によれば、これが「古い想像力」だ。「〜しない」という倫理がその特徴であろう。

ではゼロ年代の特徴とは何か。
小泉-竹中構造改革のもたらした格差社会の拡大は、要するに何もしないで引きこもっていることを許さない。特撮テレビ番組『仮面ライダー龍騎』、マンガの『ドラゴン桜』『DEATH NOTE』に表象される「サヴァイブ感」が支持される。成熟した人間とは、他者との関係世界から待避するのではなく、手を取り合う能力だという感覚が「新しい想像力」という特徴だ。

本書は1978年生まれの若い批評家の手による一冊で、作品とその需要・受容をたいへん分かりやすく批評した一冊で、新鮮な感動をもって楽しく読み進むことができた。

ただ出版から4年を経た現在から懐古するにあまりに類型化しすぎたきらいも否めない。退行から接続へという筋書きは否定できないものの、今なお「リア充爆発しろ」だとか「便所メシ」的怨嗟は否定できないからだ。

出版以来、論争の一冊となったと聞くが、ともあれ、新たな可能性を論じた野心作品であること、そしてサブ・カルを安易に退けることのできない現状であることは、認めなければならないだろう。




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