書評:イバン・イリイチ、デイヴィッド・ケイリー編(臼井隆一郎訳)『生きる希望―イバン・イリイチの遺言』藤原書店、2006年。


「人間のために」と整備されたシステムとサービスが、人間の自律を喪失させていく錯綜と経緯を執拗に追求したイリイチ思想の集大成

イバン・イリイチ、デイヴィッド・ケイリー編(臼井隆一郎訳)『生きる希望―イバン・イリイチの遺言』藤原書店、2006年。


本書は「脱学校化」論で知られるイリイチの最晩年のインタビュー集だが、イリイチ思想の集大成ともいうべき魅力的一冊だ。

近現代を象徴する出来事は教育や医療、医療といったインフラの制度化であろう。本来、「人間のために」と整備されたシステムとサービスが、人間の自律を喪失させていく錯綜がその現代への流れであろう。その経緯を執拗に追及し、社会実践の経験から批判したのが異色の思想家・イリイチではあるまいか。

イリイチは、この本末転倒をどこに見出すのか。氏自身のキリスト教信仰の立場から東西教父の文献を辿り、キリスト教の教会「制度」の逸脱に現代のパラドクスの原因を見出している。始まりは隣人愛だ。それは美しき「善」であろう。しかし、「規範化」されることでその生命は喪失されることとなる。勿論プラスの側面もあるだろう。しかし失われたものの方が多いし、積極的側面をも貶めてしまう。善意の制度化は「栄光」をも権力と金に満ちた業務へと転換してしまうのだ。

「現代の福祉社会が、客をもてなすキリスト教徒の習慣を堅固なものとして拡張する試みであることには、何ら疑いの余地はありません。他方、それはたちまち倒錯しました。誰がわたしの他者であるのかを選ぶ個人の自由は、サービスを提供するための権力と金の行使に形を変えました」。

先に「異色の思想家」だと形容したが、イリイチは人生の中盤までカトリック神父として活動を展開している(念のためだが、死ぬまで自覚はある)。その来歴ゆえに、氏の指摘は重みをます。思えばイエスファリサイ派の律法主義を否定したが、制度化は律法主義を再生する。あらゆるものがシステムとして制度化されて効率よく合理的に運用かされればされるほど、律法的なるものは堅固なものになってしまうのだろう。

いかに「善」から発したものとはいえ、「制度化」は、パラドクスを必然する。システム依存を否定し、地に足をおろした生き方を探るイリイチの営為は、技術理性や特権的専門家集団、そして管理社会の問題を再考するヒントが溢れている。



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生きる希望―イバン・イリイチの遺言
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