理性によって導かれる人間の究極の目的、いいかえれば最高の欲望は−−彼はこの欲望にもとづいて、それ以外のあらゆる欲望を統御しようとする−−こと







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 かくて人生でもっとも有益なものは、知性あるいは理性をできるだけ完成させることである。そしてこの点にのみ人間の最高の幸福あるいは至福がある。もちろん至福は、神の直観的な認識から生じる心の安らぎ以外の何ものでもない。他方、知性を完成させるとは、神と神の属性、さらに神の本性の必然性そのものから帰結される諸活動を認識することである。それゆえ、理性によって導かれる人間の究極の目的、いいかえれば最高の欲望は−−彼はこの欲望にもとづいて、それ以外のあらゆる欲望を統御しようとする−−、彼自身と彼の知的認識の対象となるすべてのものを、十全に把握するように彼をかりたてる欲望である。
    −−スピノザ(工藤喜作訳)「エチカ」、『世界の名著 スピノザライプニッツ中央公論社、1969年。

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本日の講義にて、西洋哲学史の流れは、ひとまず完了。めちゃくちゃな駆け足でやってきたのですが、西洋哲学の一つの伝統とは自己完成を目指していくという方向性がれっきとして存在することを見落としてはならないと思います。

「行」的な自己完成を目指す伝統はどちらかといえば、東洋的な伝統に濃厚に見受けられますが、それは東洋的な伝統の専売特許ではありません。

生活世界のなかで、有限存在としての自覚から出発し、どこまで自分が自分の「主(あるじ)」として振る舞っていけるかどうか。そして自分に対し、世界に対し、そして他者に対して、その認識からどのようにかかわっていくのかどうか、哲学を学ぶ意義というのは、いくつかあるでしょうが、この自己完成、主としての認識……くどいですがこれは“オゴリ”としてのソレではありませんよ……を手にすることができるかどうかというのは大事なポイントだと思います。

ですから、逐語的に、名前と概念を「暗記」するのではなく、過去の賢者たちの思索をたよりに、他律から自律へ……この流儀を学ぶことを心がけて欲しいかなと思います。

ちょうど授業も1/3が終了。このあとは、個別のテーマに従って、哲学的知見を紹介しながら、皆様と思索を深めていければと思いますので、どうぞよろしくお願いします。












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