覚え書:「そこが聞きたい ダヴィンチ展の意義 カルロ・ペドレッティ氏」、『毎日新聞』2012年5月14日(月)付。


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そこが聞きたい ダヴィンチ展の意義 カルロ・ペドレッティ氏

万能の人の原点に触れて

 「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」展が東京・渋谷で開かれている。500年前の巨匠が、なぜ今も世界中で注目され続けているのか。カリフォルニア大学ロサンゼルス校アーマンド・ハマー・レオナルド・ダ・ヴィンチ研究所所長のカルロ・ペドレッティ氏(84)に魅力を聞いた。【ロサンゼルス堀山明子、写真も】

ダヴィンチ展の意義
−−万能陣として異名を持つほど多方面で活躍した巨匠ですが、世界的な研究の潮流は?
◆知的探究が施された分野について、美術だけでなく建築、科学、哲学などすべてを総合的に分析し、欧米社会における文化遺産の基盤を締めそうというのが今の流れです。彼は理想世界に生まれたと思っていたので、「自然美」と「伝統」が核心的な関心分野でした。世界観を理解するには、彼が何から影響を受けたのか、死後500年にわたって世界にどう影響を与えたのか、生前と死後のインパクトを多角的に学ぶ必要があります。
−−具体的な研究は?
◆私はドイツ、イギリス、フランスなど欧州各国の関連機関やメディアと連携して、今日の社会にどんな影響をもたらしたかを分析する大掛かりなプロジェクトを進めています。死後の影響は時代ごとに変わります。宇宙科学や解剖学、工学、映画の技法でも文化遺産は引き継がれていますが、体系的にはまとまっていません。欧州連合(EU)が実現した今、彼はイタリアだけでなく、欧州の文化統合の象徴です。国境を超えて研究する意味は大きいと思います。
−−ルネサンス芸術は中国の水墨画の影響を受けたと言われます。アジアとの関係は?
◆中国の著名なレオナルド研究者によると、レオナルドが水墨画に言及した著述はないそうです。水墨画の技法を取り入れたという証拠はありません。ただ、彼が生きた当時のフィレンツェは中国との貿易が盛んだったので、刺激を受けた可能性はあると思います。プロジェクトにはアジア各国の研究者にもぜひ加わってもらいたいですね。
−−開催中の展示には名誉監修者としてかかわったそうですね。どこが見どころですか。
◆レオナルドの「美の概念」を正面から主題にした展示は、第二次世界大戦後初めてでしょう。理論的著述を含めて展示しようという試みは、今日的な研究の流れとも合致し、意義のあるアプローチだと思います。展覧会を訪れた日本の方々が知的刺激を受け、もっとレオナルドを多角的に知りたいと思う契機になるのではと期待します。
−−約9割が日本初公開ですが、最も注目すべき作品は?
◆東京展から加わった「ほつれ髪の女」(1506〜08年ごろの作品)です。彼の美の概念を表現した最高作の一つで、大好きな作品です。イタリア国内で展示されただけで、海外にはほとんど出ていません。焦点となる顔の中央部分だけ明るく、表情豊かに描き、ほつれ髪の部分は色あせて、少しずつ暗い背景と一体化していく。写実的な世界を超越したマジックのような絵です。このイメージは目で見るのではなく、心で映し出す必要があります。

人々励ます美の力
−−概念的な追究の変遷が分かる作品はありますか。
◆1980年代に存在が確認された「岩窟の聖母」(1495〜97年ごろの作品)です。この絵はルーブル美術館蔵の原形と、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵の修正版があります。東京展で展示されるのは、この二つの作品の間に描かれたのではないかというのが1990年以降の研究で指摘されています。修正版はいずれも聖母マリアに後光が描かれていますが、これは後に弟子が加筆したものだと考えます。こうした分析は最近の研究で注目されている分野の一つです。
−−なぜ後光は弟子が加筆したと分かるのですか。
◆後光は、当時の宗教的な絵画では慣習的に描かれていました。しかし、レオナルドは後光のような不必要な装飾をやめてシンプルに描こうとしていました。作品はすでに宗教的な構図なので、シンボルを加える必要がないからです。聖母は子供の頭に手をかざし守護する仕草をしており、それだけで十分にメッセージは分かります。そうした細かなこだわりを知ることも「美の概念」を理解する手助けになるでしょう。
−−東日本大震災後、海外の有名美術館が日本への名作貸与に慎重になる中、イタリアの関係者は展示に協力しました。大変な決断だったと思いますか?
◆日本の国民が悲劇に直面した今だからこそ、「美の概念」というレオナルドの原点となるテーマの展示が必要だと、イタリアの関係者はすぐに感じたのだと思います。美は、レオナルド芸術のパワーの源です。自然美は真実だけでなく、秩序を超えた世界の美と調和を表現しています。物理的にも知覚的にも秩序が崩れた今の時代こそ、レオナルドの作品は人々を励ましてくれるのだと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年) 14〜16世紀に欧州で盛り上がったルネサンス芸術の最盛期を支え、ラファエロミケランジェロと並ぶ3大巨匠の一人。イタリア・トスカーナ地方に生まれフィレンツェを中心に活躍。美術、建築、土木、科学など幅広い分野を探究した。

カルロ・ペドレッティ氏(84) Carlo Pedretti 1928年、イタリア北部のボローニャ生まれ。50冊以上のレオナルド研究の著作を持つ。米国とイタリアの両国で活躍し、イタリアのウルビーノ大学でも教べんを執る。米国の現研究所所長には85年の開所と同時に着任した。
    −−「そこが聞きたい ダヴィンチ展の意義 カルロ・ペドレッティ氏」、『毎日新聞』2012年5月14日(月)付。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」展
2012年3月31日〜6月10日






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