覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『おろか者たち−−中学生までに読んでおきたい哲学(4)』=松田哲夫・編」、『毎日新聞』2012年06月17日(日)付。





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今週の本棚:沼野充義・評 『おろか者たち−−中学生までに読んでおきたい哲学(4)』=松田哲夫・編
 (あすなろ書房・1890円)

 ◇大人になってかみしめる本当の意味
 とてもよいアンソロジーのシリーズが刊行され始めた。全八巻、題して「中学生までに読んでおきたい哲学」。五月にまず第六巻『死をみつめて』と第八巻『はじける知恵』、そして今月第四巻『おろか者たち』が出ている。中を開くと大きな活字で、難しい漢字にはルビがふってあるし、ページの下欄には詳しい注がついていて、「ラムネ」や「土瓶」は図解まで施されている。確かに若い読者向けの作りなのだが、作品の選択はどうして、決して子供だけのためのものとは思われない。
 こんなことを言うと編者はありがた迷惑かもしれないが、大人の支配する世界のばかばかしさや理不尽をえぐっている文章も多く、正直なところ、子供にはむしろ読ませたくないようなものもけっこう入っている。中学生までに読んでおきたいどころか、これでは、<本当の大人になるまで読んではいけない哲学>じゃないかな、と思いながら、私は面白がってずんずん読み進めた。『はじける知恵』の巻に収録された詩人茨木のり子のエッセイには、「大人とは 子供の夕暮ではないのか」という加藤八千代の詩集のあとがきの一節が引かれていて衝撃的だったが、この言葉の本当の意味をかみしめるのは、おそらく、新鮮な子供の感性を失って鈍い世界に生き続ける大人になって初めてできることだろう。
 最新刊の『おろか者たち』の巻は、人間のおろかさの様々な局面に焦点を合わせた日本人の小説やエッセイを二十一篇収めている。並外れてケチな老婆の頓死事件を語った夢野久作の「一ぷく三杯」に始まり、武士に無意味な喧嘩(けんか)を売ったあげくバッサリ首を切られてもそれに気づかずすたすた歩いていく町人を描いた林家正蔵(演)の落語「首提灯(ぢょうちん)」に至るまで、多様なラインナップである。
 山口瞳、堀田善衞、米原万里井上ひさしの文章は、日本語の使い方をめぐるもので、人間のおろかしさというよりは、言葉の乱れとその面白さを浮き彫りにしている。「どーも」「すいません」といった言葉遣いが不愉快であるという山口瞳の主張は、いまの子供にはおそらく通じないだろうが、どうして大人は本当のことを正確に言えないのか、考えるための素材は今の世の中にいくらでも転がっている。
 子供を支配する大人に対する怒りをぶつけた中島らも岡本太郎の文章も鮮やかだし、やたらにカッコをつける中年男のガキのような情熱を描いた佐野洋子のエッセイも印象的。私にとっての大発見は、遅刻を悪徳として厳しく罰する風潮を批判した梅棹忠夫の「遅刻論」だった。あれほどの大学者が遅刻常習者であったと知って、私の梅棹に対する敬愛の気持ちは大いに増した。森毅の「やさしさの時代に」も、易(やさ)しい言葉ですごいことを言っている。「ファシストは、澄んだ瞳で現れる」「人間というものは、他人をだますためには、いろいろと手練手管(てれんてくだ)がいるけれど、自分をだますほうは、簡単にやってのける」といった具合だ。
 最後に、終戦直後の時期について、混乱してはいたけれども、人間が人間らしく暮らしていたとなつかしむ色川武大の文章に見つけた、こんな一節を引いておこう。「ばい(、、)菌だらけだけれど、せいぜい大腸菌ぐらいで、工業汚染だの放射能だのってのじゃないんだからね」。さて、現代の私たちはどうするべきか。大人も子供も、原発問題に向き合いながらきちんと哲学しなければならないだろう。哲学を政治家や役人に任せているわけにはいかない
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『おろか者たち−−中学生までに読んでおきたい哲学(4)』=松田哲夫・編」、『毎日新聞』2012年06月17日(日)付。

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